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流求と覚醒の街角(57)耳

2013年10月06日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(57)耳

 奈美の部屋にいた。ぼくはテレビを見ている。日曜の昼から夕方に移行する時間。世の中は平和であり、神秘的なことは一切なく、現実だけがただ自然にぼくらを覆っていた。

「そこのドライバー、取ってくれない?」奈美がベランダから声をかける。ぼくは、見るともなくゴルフを見ていた。奈美はベランダで最近、関心のあるプランターの前で作業をしている。水をやったり、たまに写真をとったりして。その一部を昨日の料理につかったことを説明されたはずだが、ぼくはもう何も覚えていなかった。そして、ぼくはアイアンとかパターと同じジャンルのドライバーを想像していた。この部屋には当然のことだがなかった。奈美が首だけ部屋のなかにいれ、もう一度、「そのドライバー、取ってくれない?」と指差したので、その延長線上にある、ネジを締めたり緩めたりする用途のほうのドライバーを取った。

「はい」と言ってぼくは手渡す。同時に奈美の目の前に広げられているものを見渡した。多少の泥と、種の袋。「排水口につまんないの?」
「下にもまた、これ敷いてあるから」と言ってプラスティックの容器を爪で叩いた。甲高い音が響く。室内では拍手の音がした。振り向くと、砂場をならしているひとがいた。ひとはミスをして、それをどうにか盛り返すよう努力する。

「そこでゴルフの素振りでもするのかと思った。ドライバーって言ったから」
「あ、これね」奈美は片手でそれを振り回す。「同じだね」

 世の中には山ほどの言葉があり、また同じ言葉で違う意味を与えられたものも、それほど少なくないぐらいにあった。でも、いまは直ぐに思い出せない。日曜のこの時間がもっとも思考が停まる時間ではないのだろうか。
「楽しい?」
「楽しいよ」

 ぼくらは顔を見ずに気になったときだけ会話をした。土と種と水があれば、何かは育つのだという当然の事実を知りながらも、行動を起こすひともいて、まったく無縁の自分みたいなものもいた。やはり、その成長も神秘のひとつなのだろう。誰かが手にかけたものを調理し、袋や容器につめられて売っている。ぼくはそれを買い、ただレンジで暖めるだけなのだ。暖める機械の内部や仕組みも同じく神秘だろうが、あまりにもとぼけた完成の合図の音を出すので、いささか神秘性は減った。

 ぼくは目の前にいる奈美も同じように見ているのかもしれない。どこかで自分の介在しない場所で大人になり、その成長を見守ったひとや、成長の途中で勇気や応援したひとも無視して、ただ出来上がったものだけに満足するのだ。安易だといえばそういえたし、満足や幸福の最終の姿なのだと呼べば、そうも考えられた。

 奈美は夢中になっている。その状態にいるひとの常のことのように、ひとりごとを言った。ぼくは返事をしない。期待も関心もなかったゴルフの観戦に集中してしまっていた。相手を威嚇することもののしることもしないスポーツ。一見、蹴落とすことも皆無のようだった。こころは平静であるべきなのだ。確実に相手より少ない数で回れば良いだけなのだ。やろうと思えばできるのだろうが、やろうと思っても簡単にはできないものたち。

 奈美はいつか飽きるのだろうか。時間に追われるということを最前にもってきて、かつ有効になる言い訳につかう。ひとはいろいろなものを手放し、また手放す理由をくっつける。ぼくはこの時間に飽きるのだろうか? この静かなるデッド・ヒートも終われば飽きるだろう。奈美は手を洗い、ぼくらは外食をして日曜の夕刻をしめくくる。ぼくは奈美のことすらも飽きるのだろうか? ひとは手放すことに言い訳を考え、また新たなものを探すためにも、もう一度、取り戻すためにも正当になり得る理由を考えついた。しかし、ボギーはパーにはならない。ミスはどの観点から眺めてもミスであり、17番のミスを18番で帳消しにすることを願う。過去のミスに執着すれば未来を失った。ぼくは奈美との交際をつづけながらも、前日のミスをずっとひきずっていた。

「はい、終わった」最後のひとりごと。でも、それは完全なるひとりごとでもない、ぼくの耳にも入ることを望んでいるささやき。これからの予定を遂行するための静かなる号砲。

 奈美は手を洗い出した。それから、「体重をはかるのを待って」と突然に言い出した。洗濯機のよこにはヘルス・メーターがあった。
「どうしたの? 壊れてるの?」
「さっきから、ずっと同音異義語を考えていた。どっちもウェイト」
「空を見る。違う、海を見る」
「平和の一欠けら」

 ぼくらは順番に思いつく単語を言ったが、かなりの間が挟まっていた。ぼくはテレビのスイッチを消し、窓を開けた。土のうえには何もなかった。芽生えさせるためには一度、埋めなければならないのだ、という単純な工程を理解しようとした。ぼくらには、大人になったぼくらにはゆっくりと成長するための時間などないような気もした。すべてはやりかけであり、すべてはやり残しでもあるようだった。18個の穴にボールを沈めれば、それらのゴールをきちんと回れば片付くのだということもなさそうだった。その中で正確な答えを導き出し、その途中でミスを増やさないようにするだけだった。頭上を通り過ぎる風を、その地中の種も感じているのか想像したが、ぼくには答えなどもらえないことだけは知っている。奈美は化粧をはじめる。その過程にはどれほどの数があり、ボギーとか、イーグルがあるのかも考えようとした。ただ待っている自分の顔は楽なものであり、おそらくパーというのはこういう状態を指すのかと勝手に結論づけた。


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