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流求と覚醒の街角(67)遠隔

2013年10月29日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(67)遠隔

 ぼくは奈美と会うのが久し振りだった。お互いの社会側に見せている約束や予定が優先され、個人的なことは二の次にされた。だが、もっと前ならぼくらはそれらをいちばんに持ってきていたと感じられてもいた。だからといって性急な解決もなく、準じた衝動も意外と冷静なものに変化してしまっているようだった。醒めというのは熱を奪うことであることを薄々とだが念頭に置いた。

「なぜ、そんなこと言うの? 淋しいな」

 ぼくがこの関係を奈美の視点から喜んでいなければ、解消することをも示唆に入れるセリフを吐くと悲しそうな顔でそう答えるのだった。「わたしを不安にさせるようなことを言わないで」
「ごめん、もう言わないよ」ぼくは奈美の不安の固まりを払拭させるように声ではなく、ただの音のようなものを出した。これで良いのか? これで、良かったのか? 奈美も、ぼくも。

 しかし、ぼくらの会わなかった数日の間に、違和感のようなものが芽生えたのも確かだった。ぼくは直りかけたかさぶたを無理に引き剥がすように、先ほどの言葉を言わないわけにもいかなかったのだと考えていた。ぼくは、あとでそれを後悔し、そもそも引き摺るとか未練という状態から抜け出せない自分を何より愛し、愛着をもっているらしいのだ、と気付いた。未練こそが純なる愛の証拠の唯一のものなのだ。それを過去のある日から継続して温め、またその状態をもう一枚の布団を重ねるように自分の上にゆっくりと被せようとした。前提には最愛なるものを失う自分を発見しなければならない。他者のような目をもって。

 その不用意なひとことでぼくらの間はぎくしゃくとなる。この現実の関係こそが夢であり、前日のぼくの見た夢のなかで彼女は別の男性と家庭をもっていた。ぼくはその奈美本人の姉か妹のどちらかとの知り合いに過ぎないのだという不安な脳の状態にあった。実際には存在さえも許されていない人間との関係なのに。人間が継続することで勝ち得る喜びと無力さがきょうのぼくには同時に生まれていた。

「本当はぜんぜん思ってもいないことを言ったんでしょう? さっきは」

 奈美は自分の安心を得ようと、わざわざ不安の要素を思い出そうとしていた。引き出しはもう一度、開かれたのだ。言葉はこの場合は、真摯な意味合いを決して有しないものたちなのだ。ぼくは何とでも言える。テクニックも高尚な哲学もいらない。ぼくはまったく思っていなかったと告げる。しかし、思っていないことなど、口から軽々とも、また重厚な声色でもでてこないものだった。ぼくはどこかで奈美の幸せを最優先にするというメルヘンチックな思いに捉われていた。だが、それも奈美の幸せであるのか、ぼくの幸せでもあるのか、かつまたぼくの逃亡であるのかも分からなかった。

 奈美は不安を消した表情をつくる。だが、その様子を維持すればしようとしたほど、毀れやすいものとなった。水面のさざ波はいつまでもなくなる気配はなかった。この数日の不安がぼくを小さな攻撃的な少年にした。無論、毀したいとも本音では願ってもいないのだ。シーソーの両端にいるふたりのように停止したものを揺さぶって、傾きを加え、動きを与えたかっただけなのだ。実際に動くには動いた。だが、シーソーを片側は降りるという札をもちだしたのだ。それゆえに均衡は崩れ、奈美は低い位置で不安になった。

 ぼくは過去のあの日も同じような態度を取っていた。心配させる材料になることをぼくは無計画に放った。あそこでぼくには君だけしかいないのだと強く拘束することもできたはずだ。そして、また今度も同じことをしようとしていた。舟を転覆させることに魅力を感じ、別の舟を用意するよう無意識に相手にせがんだ。ぼくはひっくり返った舟の底に辛うじて首を出して息を吸った。頭上をひかりもなく覆うその底の曲線が生み出す狭さと窮屈さにいることもまた愛だった。ゆがんだ熱情はそのぐらいの場所だけで生息し、放出する熱も冷ましていくのだろう。

 翌朝、奈美の表情はいつもと同じだった。ぼくらの関係ももとにもどった。だが、いつもは次の約束など決めることはなかったのだが、その日の奈美は次の予定を確実に入れた。手帳に丸をつけ、カレンダーにも同じことをした。それは祈りに近いもののようだった。いや、託宣とでも呼びたいほどの生真面目さが指にあった。ぼくは部屋を出て別れた後も仮に奈美の妹や姉がいたら、どんな女性だったろうかと想像した。そのある意味で同一にはならない、同質でもある「まがい物」の方が自分にぴったりと来るような印象をもっていた。そう考える自分も日々の自分より低劣で、愚かしさにまとわりつかれていた。歩きながらぼくの電話がなる。奈美はぼくのひとときをも失わないように会話をした。その不安を再燃させる心配もなかったのだが、きっかけをそもそも作った自分には大いなる罰がくだってもよかったのだ。

 ぼくらが繋がっているのは電波という見えないもので、よくよく考えれば他のひとも、見えない何かを信じようとしているだけのようだった。ある場合には指輪になったり、役所への届けで代用された。神秘さをもたない繋がりではぼくらの関係の正しさも立証できない。だが、ぼくは誰になにを証明しなければならなかったのか。ある日、再会することになるかもしれない誰かや、自分の亡霊に、現在の幸福の証明と、過去の選択の正しさなのかもしれない、それは。しかし、電話も終わる。目に見えない電波はさらに遠いものになった。だが、そうなってみると逆に奈美はぼくの頭のなかでより一層近付いたようだった。


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