どうも人間関係が入り組んでいてわかりにくいので、自分なりに図にしてみた。
なんというか・・・狭い。狭いぞ?近親婚がやたらに多い。
驚いたのは、キムユシンの母であるマンミョン(萬明)と真平王(チンピョン王)が異父兄弟であるという事実。ということは、ユシンとトンマン(善徳女王)は従兄弟同士の関係でもあるわけだ。
マンミョンの母はドラマ「ヨンゲソムン」にも登場している皇太后の萬呼(マノ)夫人。彼女は真興王(チヌン王)の妹(妹の娘という説もあるが)でもあるので、真平王はおじいちゃんの妹を母にしているということになる。
それにしても、マンミョンが王族の直系と確かに言ってはいたが、そこにつながるとはなあ。
であるならば、ユシンもほとんど王族の血をひいていると言っても差し支えないわけである。彼が不幸だったのは(いや、決して不幸ではなかったと思うが)父親のソヒョンが貴族ではあっても本来王族と婚姻できるような身分ではなかったということ。だからソヒョンはマンミョンと駆け落ちするしかなかったのだ。
しかし、そうは言うもののソヒョンは、もともとは伽耶の王族の直系なわけである(金官伽耶の最後の仇衡王(金仇亥)の孫にあたる)。ともすると三国の影に隠れがちだが、朝鮮半島南部においては伽耶の役割も重要なものだった。ユシンは伽耶と新羅双方の王族の血を引くエリート中のエリートでもあったわけだ。
それにしても、これほど近親婚が多いというのは、彼らが(現代の感覚からすれば)異常に血筋にこだわっていたということにほかならない。(彼ら自身が異常だったというわけでは決して無い)
聖骨(ソンゴル)とか真骨(シンゴル)という言葉があること自体からもわかるとおりだが、王族の血は清いものであってそこに外部の血が混ざるのをよしとしないということだ。尊い血を濃く維持するためには、むしろ積極的に近親と婚姻すべきと考えられていたのである。
実はこういう考え方はペルシャの貴族にも共通している。やはり新羅は西アジアの文化に強く影響を受けているのである。そして、実は同時代の日本にも同じような文化があった。
なんというか・・・狭い。狭いぞ?近親婚がやたらに多い。
驚いたのは、キムユシンの母であるマンミョン(萬明)と真平王(チンピョン王)が異父兄弟であるという事実。ということは、ユシンとトンマン(善徳女王)は従兄弟同士の関係でもあるわけだ。
マンミョンの母はドラマ「ヨンゲソムン」にも登場している皇太后の萬呼(マノ)夫人。彼女は真興王(チヌン王)の妹(妹の娘という説もあるが)でもあるので、真平王はおじいちゃんの妹を母にしているということになる。
それにしても、マンミョンが王族の直系と確かに言ってはいたが、そこにつながるとはなあ。
であるならば、ユシンもほとんど王族の血をひいていると言っても差し支えないわけである。彼が不幸だったのは(いや、決して不幸ではなかったと思うが)父親のソヒョンが貴族ではあっても本来王族と婚姻できるような身分ではなかったということ。だからソヒョンはマンミョンと駆け落ちするしかなかったのだ。
しかし、そうは言うもののソヒョンは、もともとは伽耶の王族の直系なわけである(金官伽耶の最後の仇衡王(金仇亥)の孫にあたる)。ともすると三国の影に隠れがちだが、朝鮮半島南部においては伽耶の役割も重要なものだった。ユシンは伽耶と新羅双方の王族の血を引くエリート中のエリートでもあったわけだ。
それにしても、これほど近親婚が多いというのは、彼らが(現代の感覚からすれば)異常に血筋にこだわっていたということにほかならない。(彼ら自身が異常だったというわけでは決して無い)
聖骨(ソンゴル)とか真骨(シンゴル)という言葉があること自体からもわかるとおりだが、王族の血は清いものであってそこに外部の血が混ざるのをよしとしないということだ。尊い血を濃く維持するためには、むしろ積極的に近親と婚姻すべきと考えられていたのである。
実はこういう考え方はペルシャの貴族にも共通している。やはり新羅は西アジアの文化に強く影響を受けているのである。そして、実は同時代の日本にも同じような文化があった。