朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

出土のガラス玉、古代ローマ帝国製か…広島

2012年09月12日 | 最近のニュースから

広島県の3世紀前半の遺跡から出土したガラス玉を調査した結果、その組成からローマ帝国産であることが判明したという興味深いニュースが上がっている。

出土のガラス玉、古代ローマ帝国製か…広島

 

少し前には5世紀の古墳からローマガラスが出土したというニュースもあったが、3世紀前半ということは卑弥呼の生存時期に重なるわけで、実に興味深い。

いずれにせよ、この時代においても大陸をまたがる広範囲の文化交流はあったというわけで、この程度のことはもう歴史の常識として認識しておくべきであろう。


なでしこサッカーとピジェ(比才)

2012年08月02日 | 最近のニュースから

なでしこ、佐々木監督の「引き分け」指示、米国でも物議を醸す

ロンドン・オリンピックで男女共に予選通過を決めたサッカー。なでしこの実力は前評判どおりだが、苦戦を強いられると予想されていた男子チームまでが、強豪スペインを下し、その勢いのままに予選通過を決めてしまったのは想定外の驚きである。明日からの準々決勝がとても楽しみなわけだ。

一方で、2戦目で予選通過を決めたなでしこが、強豪国との直接対決および長時間に渡る移動を回避するため、3戦目で明らかに手抜きと見える戦術を採用したことが一部に問題視されている。程度は違えど、ブラジルとの直接対決を避けるためホンジュラス戦をドローに持ち込んだ男子チームにも同じことがいえよう。

ここで思い出されるのが、ドラマ「善徳女王」の第34話。風月主(プンウォルチェ)の座をめぐる武術大会の場面である。ムンノが出題したピジエ(比才)でユシン、ポジョン(宝宗)がそれぞれ勝ち点1を取っており、最終の武術大会で優勝した方が次代の風月主に決まるという状況であった。

準決勝に残ったのはトンマン派のユシン、アルチョン、そして問題児ピダム。一方ミシル派で残っていたのはポジョンであった。トンマン派としては、政治的な観点から、なんとしてもユシンに勝ちあがってもらい風月主の地位に就いてもらうというのが悲願でもあった。しかし、準決勝でのユシンとアルチョンは、お互い親友の間柄でもあるのに一切手を抜かない。まるで親の敵と戦っているかのような激闘を続けるのだ。最終的にユシンが勝ち残るが、この時点ですでにユシンは満身創痍の状態であった。

仮にアルチョンが勝ち残って優勝しても風月主の座には影響しないのだから、少しは力を抜いてユシンに勝たせればいいではないか。そう話す部下(郎徒)たちもいたわけだが、ユシンもアルチョンもそれを厳しく諫める。相手が誰であろうが、真剣に戦って勝ち残ってこそ風月主にふさわしい・・・そういう文化、共通の理解があるからである。それこそがファラン(花郎)なのだと。

ところが、こういったことをまったく理解していなかったのがピダムだった。準決勝でポジョンを破った彼は、決勝戦でユシンを勝たせるため、あからさまな手抜きをしてみせる。彼にしてみれば、風月主の座にユシンをつかせたいというトンマン王女の願いを手助けしようという、彼なりの大義があったわけなのだが。しかし、当然のことながら試合は八百長とみなされ、ピダムは失格して追放とされたわけである。

さて、ドラマとオリンピックの試合を単純比較してもどうかと思うのだが、まず個人的な見解として、なでしこ佐々木監督を非難する気はないし、ましてや個々の選手に対してどうのこうの責める気は毛頭ない。そもそもトーナメント方式の国際大会で戦略的に引き分け試合を狙うというのはごくあたり前に行われていることである。狙ってできるようになったということだけでも、日本チームがそれだけ成長した証とも言える。

(もっともバドミントンの試合で失格となった中国・韓国のように、あまりにあからさまな場合はやはり問題となるわけで、この辺の差異がどこにあるか、どこで線引きすべきものかはマイケル・サンデル教授の授業でぜひ扱ってもらいたい内容である)

しかし・・・それでもなお、やはりスッキリしないものがある。

「善徳女王」のピジェでは、すでにカラダがぼろぼろの状態のユシンが、チルスクの攻撃に10回耐え抜いて最終的に風月主の座を勝ち取る。ドラマの中とはいえ、メッタ討ちにされたユシンがそれでもなお繰り返し起き上がり、立ち上がり、チルスクに向かっていく場面は非常に印象的なものであった。本来政敵の側にいるポジョンまでが、最後には「立ち上がれ」とユシンを応援する。ここにはラグビーで言う「ノーサイド」のような、スポーツ本来の精神が具現されているのだ。そういったものに僕たちは感動する。

極めて理想的なことを言わせてもらえるなら、少なくとも金色のメダルを目指すチームである限り、トーナメントでどのチームにあたろうとも戦って勝つべきである。強豪国を避けるというのは、ハナから自らの弱さを認めることになりはしないか、自己否定ではないのか。どのような条件であれ、どのような相手であれ、戦い抜いて、勝ち抜いて最後に残る。それこそが王者であり金のメダルにふさわしいチームといえるのではないか。

打算的な戦略で勝ち残ってメダルを手にしたとしても、結局のところ、それはメダルの価値そのもの、ひいてはオリンピックという大会そのものの権威を貶めることになっていないだろうか。それが僕の懸念である。

もっとも、サッカーの試合に限って言えば、そもそも中二日というハードなスケジュールで試合を続けなければならないこと自体にムリがある。オリンピックという大会そのもののあり方に矛盾をはらんでいるのではないだろうか。主力温存だとか、競技場間の移動に気をかけなければならないような状況そのものが不幸であるともいえる。

選手が試合に勝つことだけに専念できる環境、それがあってこそスポーツ本来の精神が具現される大会となりえるのだと思う。理想論ではあるが。


京都の古墳からローマガラスが出土

2012年06月22日 | 最近のニュースから

京都府長岡京市にある5世紀後半の古墳(宇津久志1号墳)からローマガラスが出土したというニュースがあがっている。

古墳のガラス玉 ローマ製 長岡京、「重層」で国内初

京都古墳の出土品、帝政ローマのもの?

 

このブログを読んでいる人にとってはさほど驚くような話ではないと思うが・・・

実は以前このような記事を書いている。

シルラとローマ

高句麗・百済・新羅の三国にあって、新羅だけが少し特殊な文化背景を持つという事情を示す、わかりやすい例のひとつである。

ドラマ「善徳女王」において少女時代のトンマンがタクラマカン砂漠で成長し、一時はローマへ行くことを考えるという筋書きがある。もちろんこれはすべてフィクションの中の出来事なのだが、東アジアと西アジア、中東、ヨーロッパが早い時期から文化交流を図っていたというのは紛れもない事実である。

それを可能にしたのがステップロード(草原の道)と呼ばれる交易路だった。これは、いわゆるシルクロード(絹の道)とは別で、中国の干渉を受けることなくローマに至ることができた。その交易路の東の終点がシルラであり、そこからちょっと海を渡って日本にやってくることぐらい十分可能だったわけなのである。

 


モンゴルの墓から青龍、白虎

2012年01月27日 | 最近のニュースから

数日前のニュースに、7世紀のモンゴルの墓から「高松塚」に似た青龍、白虎が描かれた壁画が見つかったというものがあった。

白虎?7世紀モンゴルの墓に「高松塚」似の壁画

以下、記事から引用。

 モンゴルの中部、ボルガン県の草原で、極彩色の壁画を備えた突厥(とっけつ)時代の有力者のものとみられる墓が見つかった。

 日本の高松塚古墳やキトラ古墳に描かれた「四神」の青龍、白虎の特徴を持つ生物や、西洋、中国の多彩な人物の姿が描かれ、当時の活発な東西交流を伝える発見だ。

7世紀のアジアというのは驚くほど国際交流が盛んで、知れば知るほど興味深い時代だが、これもまた当時の文化交流を示すものでとても興味深い。

突厥というのは、6世紀中央ユーラシアに存在した遊牧国家である。
代々の王の名は可汗(カガン)と呼ぶが、カガンとかカンというのは伝統的に中央アジアで王の呼称として使われてきたもので(cf:チンギス・カン=ジンギスカン)、新羅の始祖「赫居世」(ヒョッコセ)の王号が「居西干」(きょせいかん)であったり、5世紀から6世紀にかけての新羅の王が麻立干(まりつかん)と呼ばれていたのも中央アジアとの関連をうかがわせる。

ところで、唐の将軍として高句麗戦で活躍した苾何力(ケピルハリョク)は、もともと突厥の王子だった。「日本書紀」にも次のような記録が残っている。(「日本書紀」上では、「苾加力」(けいひつかりき))

『日本書紀』巻二七天智天皇即位前紀
斉明天皇七年(六六一)七月是月◆是月。蘇將軍與突厥王子加力等。水陸二路至于高麗城下。

是の月に、蘇將軍と突厥の王子苾加力等と、水陸二路よりして、高麗の城下に至る。

ちなみに、ドラマ「ヨンゲソムン」でケピルハリョクを演じたのは、「朱蒙」でモパルモ親方役だったイ・ゲイン氏だった。