朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

知る知る ミシル

2010年11月22日 | 善徳女王

ドラマ「善徳女王」では王権を脅かす影の権力者として第一話冒頭から第50話まで登場し続けたミシル。

このミシルが、朝鮮半島の正史である『三国史記』、また重要な歴史書である『三国遺事』のいずれにも”まったく”その名前が記録されていないというのは重要な事実である。

ではミシルは架空の人物なのか?・・・というとそういうわけでもないのだ。

ドラマ「ヨンゲソムン」にもミシルは登場する。
昨年、BS朝日で放映されていた「ヨンゲソムン」を毎日録画しては観ていたのだが、その第13話でミシルに関して詳しい説明がされていた。

ミシルという女性

これによればミシルの記述が残されているのは『花郎世記』という歴史書。一般には「偽書」扱いされているものだが、もちろんすべてが偽りというわけではないはずだ。

なぜミシルは歴史から黙殺されなければならなかったのか。

それは、ミシルの役割が、後世の人々の感覚からはとうてい容認できないものだったからではないだろうか。

表現の難しいところではあるが、ズバッと言ってしまうと「種馬」の逆である。血統の良い後継者を産み続けること、それがミシル・・・ひいては大元神統(テウォンシントン)と呼ばれる一族の役目だったのではないか。だからミシルはチヌン大帝(真興王)に仕え、その息子(真智王)や孫(真平王)にまで”仕え”、実の弟(ミセン!?)や英雄たち(サダハムなど)とも関係をもったのだ。

すべての問題の根源は「骨品制」にある。
父親、母親ともに王族である身分が「聖骨」(ソンゴル)であり、聖骨の身分にあるものだけが王位を継ぐ資格があるという慣わし。

しかし、ちょっと考えてみればそれを維持することがかなり難しいのはすぐわかる。

もともと王族というのはそれほど広い範囲にいるわけではない。(あまり多すぎるとありがたみに欠ける)
王族同士で婚姻を結び続けるには無理があるのだ。だから必然的に近親婚が多くならざるを得ない。(たとえば、真平王の母であるマノ夫人はチヌン大帝(おじいさん)の妹であるし、チョンミョンの結婚相手である龍樹は従兄弟おじにあたる)

それを担保するため、育ちの良い、限定された一族(あるいは、限定された女性)に王族の子孫を生ませ続けた・・・それが真相のような気がする。

しかし、これは現代人の感覚から言ってもやや異常な事態である。

そして、『三国史記』や『三国遺事』を編纂した後世の時代の人にとっても、ミシルのような女性の存在は受け入れがたいものだったのではないだろうか。

ちなみに『三国史記』、『三国遺事』が作成されたのはそれぞれ12世紀、13世紀なのである。もちろん、過去から伝わる文献の中には(『花郎世紀』のように)ミシルの存在がうたわれていたのだろうが、国の正史と呼ばれる歴史書を編纂するにあたって、ミシルのような女性は無視せざるを得なかった・・・そういうことではないのだろうか。

この辺の事情がわかったうえで、改めてドラマ「善徳女王」を見直すと面白い場面がある。

チョンミョンが亡くなり、チョンミョンの葬礼のため宮殿にやってきたミシルに対し、王妃が鬼のような形相でこんな言葉をなげつける。(第25話)

おまえはきっと死ぬ
持っているものはすべて失い、奪われ、踏みにじられ
一人孤独に震えながら死ぬであろう

墓石も無く、墓も無く、跡形もなくお前は死ぬ
この国の歴史に、お前の名は、ただの一文字も残ることはないであろう



正史と偽書

2010年11月10日 | 考察ノート

歴史書には、一般に「正史」と呼ばれるものと、「偽書」と呼ばれるものがある。

日本の場合、「正史」と言えばまず浮かぶのが、『日本書紀』。

日本書紀に続くものとして、続日本紀、日本後紀、続日本後記、日本文徳天皇実録、日本三代実録があるが、これら6つを総称して『六国史』と呼ぶこともある。

『日本書紀』と同時期の『古事記』は、正確には「正史」ではないが、正史に準じた重要な歴史書という位置づけなわけである。

「偽書」の例は、日本では一般にはあまり耳にすることはないが、例えば、「先代旧事本紀」、「東日流外三郡誌」等がある。

 

ところで、「正史」とは言うものの、そこに記述されているすべてが真実だというわけではない。

また、「偽書」に書かれていることすべてが嘘・偽りということでもない。


以下、Wikipediaより部分的に引用

正史・・・その名から「正しい歴史」の略と考えられることがあるが、実際には事実と異なることも記載されている。・・・あくまで「王朝が正当と認めた歴史書」という程の意味・・・

偽書・・・製作者や製作時期などの由来が偽られている文書・書物のこと・・・字面から「偽り」すなわち無用と誤解されがちであるが、完全に学問にとって無意味とされる物は・・・オカルト的・詐欺的な例外を除けば少ない。

 

さて、お隣りの朝鮮半島ではどうだろうか。

「正史」の代表が『三国史記』。

そして日本で言う古事記にあたるものが『三国遺事』になる。

さらに、「偽書」の代表としては、『桓檀古記』、『花郎世記』がある。

 

簡単ではあるが、以上押さえておいたうえで次のネタに行こう。


チルスクとソップムの乱

2010年11月04日 | 善徳女王
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●「善徳女王」第51話

ミシル亡き後、武装解除を申し渡されたチルスク(【柒宿】)とソップム(石品)は、その命令に従わず引き続きトンマン暗殺を遂行することを決意する。

この部分は、(以前にもネタに書いたが)史実をベースにしているものだ。

『三国史記』真平王53年(631)の記事に次のような記述がある。(以下、平凡社の「東洋文庫」版より引用)

『夏五月、【伊飡】の【柒宿】(しっしゅく)が【阿飡】の石品(せきひん)と叛逆をはかった。王がそのことを知って、【柒宿】を捕え、これを〔王都の〕東の市場で斬罪に処し、さらに九族まで罰した。』

歴史上、善徳女王が即位したのが632年であるから年代的には辻褄が合うが、話の流れはドラマとはまったく異なる。もっとも「善徳女王」のドラマの筋書きのほとんどが架空のものなので、いまさらツッコむまでもない。

史実から離れ、ドラマとして見た場合には、前回から見所が盛りだくさんである。

チルスクの最期も壮絶なものであった。
誤って自らの手でソファを死なせてしまったあと、その後悔の念をミシルに語る場面があったように記憶しているが、おそらく、チルスクはやっと死ねる機会、自らの死に場所を見出したのだろう。

脇役の人生もキチンと描かれているところ。これがこのドラマの魅力のひとつでもあると思う。