朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

歯は大切に

2010年03月29日 | お気楽ネタ
突然クイズ:どういう意味でしょう?

はははははよい

答えは末尾に。


唐突ではあるが、昨年末から半月に一度のペースで歯医者に通っている。そもそものきっかけはひとつだけある義歯が突然外れてしまったためなのだが、その治療に通っている際に歯周病になりかけているとの指摘を受け、引き続き治療を受けている次第である。

歯磨きは結構せっせとやっていたつもりだったが、やはり気づき難い磨き残しがあるようで、長年の間にそれが原因で歯周病を引き起こすらしい。現在通っている歯医者さんは、歯ブラシの正しい使い方から始まって、自分のクセ、磨けていない場所など丁寧に、かつ根気よく指導してくれるのでとてもありがたい。おかげで歯磨きという作業自体が楽しくなったし、この数ヶ月で歯ぐきがずいぶん引き締まったようだ。

個人的に歯並びはあまりよい方ではないのだが、韓国ドラマの役者さんを見ていると、歯並びが綺麗・・・というより、あまりに綺麗に揃いすぎていて、人工的というかロボットみたいで違和感を覚えることがちょくちょくある。

「朱蒙」で言うと、ソソノ役のハン・ヘジンさん。そしてテソの忠臣ナロ。

「善徳女王」では前々回から登場したなぞの男(毗曇:ピダム)もまた異常に歯が綺麗で、そして異常に白い。顔が日焼けして黒いからその対比があまりにも目立つ。

韓国というとプチ整形がごく普通というお国柄らしいが、歯もかなりいじっているのだろうか。


どうでもよいクイズの答え:母は歯は良い

白虎と青龍

2010年03月22日 | 考察ノート
内村さまぁ~ず」というストリーミング放送が大好きで定期的に観ている。

内さま.com 『内村さまぁ~ず』公式サイト

最新話では「内村プロデュース」時代の盟友、ゴルゴ松本(TIM)を迎え、『無趣味な人生を改め多趣味になりたい男たち』というテーマで、ゴルゴが内村とさまぁ~ずの二人を相手に「趣味のすばらしさ」プレゼンをしていくという企画なのだが、その中でゴルゴが「日本の歴史」についてこのように語る場面がある。

・・・中大兄皇子・・・のちの天智天皇
そして天武天皇なんていう時代がありますけども
あのへんが、実は、非常に、我々が知っている歴史とは
ちょっとウラがありまして・・・


ところが、ここまで話をしたゴルゴが「ちょっとまずいなと思ったんで」と、急に話題を変えてしまう。それは、プレゼン相手の3人があまりに興味なさそうな雰囲気なのを察知したためなのか、あるいは、地上波の番組でないとはいえ公の場で語るのはさすがにまずい内容だと気がついたからなのか・・・
個人的にはそこのところが気になって仕方がない。

ゴルゴと日本の歴史といえば、少し前までテレビ東京で放送されていた「新説!?日本ミステリー」という番組が思い出される。これまで語られることのなかった日本史の新説(異説)を独自の視点で紹介するという非常に面白い番組だったが、この中でCGのキャラクターである白虎の声を務めていたのがゴルゴだったのである。(青龍役は松方弘樹)

さきたま古墳群をフューチャーした「関東日本王国」とか、「聖徳太子はペルシャ人だった?」、「大化の改新は無かった」など相当面白い内容だったのになあ・・・

ところで、(多少強引な展開ではあるが)現在「白虎と青龍」(文芸春秋刊)という本を読みかけている。このブログをご覧の方ならその名前を知っている人も多いのではないかと思うが小林惠子(こばやしやすこ)氏の著作である。

白虎、青龍はそれぞれ中大兄皇子(天智天皇)、大海人(天武天皇)を象徴しているわけだが、この本に書かれている内容は、学校で習った程度の歴史の知識しかない人にとってはとうてい理解しがたい(信じがたい)ものなのである。

もしかしたらゴルゴ氏もこの本を読んだことがあるのかもしれないね。

春分の日 富士山頂に沈む夕日

2010年03月21日 | 史跡探訪
本日は春分の日。以前ネタとして書いた神奈川県高座郡寒川町の寒川神社へ日没を観測しに行ってきた。

聖なる暦 寒川神社

例年だとこの時期は春霞で遠景がボンヤリしてしまうことが多いのだが、昨夜の強風で大気のホコリも吹き飛ばされたようで、夕方近くには富士山のシルエットがくっきりと見えていた。

寒川神社の敷地は結構広いが、西側に隣接する末社の宮山神社がそもそもの観測ポイント(上記リンク先参照)だったのではないかという気がする。周囲が木々に覆われているので断定はできないが、宮山神社の拝殿は大山(おおやま)山頂に向けて建てられているのではないだろうか。

写真は、宮山神社の西側数十メートルの場所(「そば処 八福茶屋」の近く)からデジカメで撮ったもの。富士山に日が沈みかけた直後である。

以前(数年前)来たときにはなかったが現在は圏央道の工事中。橋桁が邪魔で少々残念な写真になってしまった。

ちなみに撮影したポイントはここ

チルスクも実在していた

2010年03月13日 | 善徳女王
ようやく今月から「善徳女王」のDVDレンタルが開始になったので第1巻、2巻を借りてきた。「朱蒙」以来おなじみのことだが、BS FUJIで観る韓国ドラマは重要なポイントがちょくちょくカットされているので、ノーカット版を見てようやく前後のつながりが見える/話の辻褄が合うということが多い。だからどうしてもDVDで見直さないと気が済まないのである。

ドラマの初期を見直して思うのは、少女時代のトンマン役を演じていた女の子が良かったなあといこと。なんというか存在感がある。いい目をしているよね。成人になってからのイ・ヨウォンも好感度高い役者さんだと思うが、砂漠の少女トンマンにもいずれどこかで再会したいのものである。

一方で、ファラン(花郎)時代のチルスクには良い印象がない。ファランの衣装が似合っていないというか、バナナマンの日村を細くしたようなイメージで(失礼!)、イケメン俳優揃いのドラマの中では浮いた感じが否めない。

ところが、砂漠に現れてからのチルスクはまるで印象が違う。その姿はまるで日本の「武士」のようだが相当に格好いいのだ。(鶏林に戻ってきてからはさらに男前度があがっている感じがする)

チルスクがソファに惚れ込むというのは意外な設定だったが、この辺も重要なエピソードがカットされているのかもしれない。この先の展開を楽しみにしておこう。

ところで、チルスク(【柒宿】)もまた歴史書にその名前が刻まれている人物である。

『三国史記』真平王53年(631)の記事に次のような記述がある。(以下、平凡社の「東洋文庫」版より引用)

『夏五月、【伊飡】の【柒宿】(しっしゅく)が【阿飡】の石品(せきひん)と叛逆をはかった。王がそのことを知って、【柒宿】を捕え、これを〔王都の〕東の市場で斬罪に処し、さらに九族まで罰した。』

【伊飡】・・・新羅の官位で2等官
【阿飡】・・・同じく6等官
叛逆・・・「反逆」と同意

Wikipediaによれば5等級以上の官位は「真骨だけが任じられ、他の宗族は任命されない」ということなので、チルスクも実は王族の血を引く人物だったということか。

※ 注:【】の中の文字はブラウザによっては文字化けします。当方の環境ではFirefoxやGoogle Chromeで見ると正常に表示されますが、Internet Explorerではダメのようです。

なぜトンマンが長女ではないのか

2010年03月11日 | 善徳女王

とうとう自分が何者であるのかを知ってしまったトンマン。(「善徳女王」第20話)

不吉な予言のもと王族の身分を剥奪され、自らの親も身分も知らずに成長し、宮殿に戻ってきたと思ったら、あまりにも冷酷な事実を突きつけられ慟哭するしかない・・・と書くと、これは「風の国」のムヒュルとまったく同じじゃないかという気もするが。まあ、それはさておいて。

トンマンとチョンミョンが双子というのは完全にドラマの設定である。先に母胎から出てきたチョンミョンが姉ということなのだが、一般的に双子の場合、後から出てきた方が長子ではなかっただろうか。この辺は国によって定義が違うのかもしれない(?)。

それにしても不思議なのはどうしてチョンミョンが姉でトンマンが妹なのか、ということである。これは「善徳女王」だけの話ではない。

ドラマ「薯童謠〔ソドンヨ〕」で言うと、登場人物の中にトンマンの名はないが、相関図を見るとチョンミョンが長女、ソンファが三女となっている。

そしてドラマ「ヨンゲソムン」第76話では、チョンミョンの息子キム・チュンチュ(金春秋)と並んで語り会うソンドク女王が、キム・チュンチュを「の子」だと呼んでいる。(写真)

いずれのドラマでも善徳女王(トンマン)は長子として扱われていない。しかし、『三国史記』には善徳女王が「真平王の長女である」とハッキリ書いてあるのだ。

 

【追記】
ドラマ「善徳女王」においてトンマンが次女となっているのは、ドラマが「花郎世紀」の記述を基にしているからとのことである。しかし、いずれにせよ双子という史実はない。


真徳女王の謎

2010年03月09日 | 善徳女王
ドラマの先の話となるが、トンマンこと善徳女王(在位632-647年)の後を継いだのは同じく女帝である真徳女王(在位647-654年)である。

善徳女王は朝鮮半島で初の女帝だったわけだが、彼女は子宝に恵まれなかったようで、結局、善徳女王亡き後も聖骨(ソンゴル)の男子は存在せず、引き続き聖骨の地位にある女性が王座についたということらしい。

系図で見ると、真徳女王真興王(チヌン大帝)の姪にあたる人物なのだが、Wikipediaによれば、その「父は第26代真平王の母方の叔父である国飯」ということなので、真平王(チンピョン王)の従兄弟(いとこ)でもあるわけだ。(この辺りは前にも書いたが当時は近親婚が多いのでかなりややこしい)

ところが、続くWikipediaの記述に少し気になる部分がある。

『旧唐書』では先代の善徳女王の妹と記されている

おやおや、これはいったいどういうことだろう。
『旧唐書』は朝鮮半島から見れば外国の文献なので、そちらの記述の方が正しいとは考えにくい部分もあるのだが、それにしてもおかしいではないか。チョンミョン、ソンファの他にもう一人妹がいたのだろうか。

そしてこれをどう考えるかだ。

善徳女王 → 金徳曼
真徳女王 → 金勝曼

アルチョンの子孫がトップスター

2010年03月05日 | 善徳女王
ドラマ「善徳女王」には何人ものファラン(花郎)が登場するが、その中でもアルチョンの存在感が良い。当初は規律に厳格で、百済との戦いで囮部隊を率いる際には、負傷した仲間を切り捨てていくという冷酷さを見せ、トンマンやユシンと衝突するが、後にはトンマンに理解を示し擁護していくというなかなか渋い役どころである。

ミシルの息子ポジョンをはじめドラマに出てくるファランの多くは架空の人物か(?)と思われるが、アルチョン(閼川)は実在の人物で、後にキムユシンと共に三韓統一に大きな役割を果たすことになる。

ちなみにドラマ「ヨンゲソムン」にもアルチョンの配役は登場していたらしいが・・・、まったく記憶がないぞ。

ところで、韓国のトップスターの一人にソ・ジソブという人がいるのだが(個人的にはよく知らないが、実写版「ゲゲゲの鬼太郎」にも出演していたらしい)、彼はなんとアルチョンの子孫なのだとか。(※ソ・ジソブ氏は現在テレビ東京で月・火のお昼に放送されているカインとアベルに出演中)

「ソ・ジソブ、閼川郎の子孫に違いない」
(写真で見るとNON STYTLEの片割れみたいだけど)

実在したアルチョンも結構イケメンくんだったのかもしれない。

どうでもいい話だがポジョンを見るたびになだぎ武を思い出すのはなぜ?

高句麗の滅亡と朱蒙

2010年03月04日 | 朱蒙

高句麗の滅亡に関しても「日本書紀」に記録があるが、その記述に続いておそらく日本書記の中で唯一であろうと思われる朱蒙(チュモン)の話題が出てくる。

『日本書紀』巻二七天智天皇七年(六六八)十月◆冬十月。大唐大將軍英公打滅高麗。高麗仲牟王初建國時。欲治千歳也。母夫人云。若善治國可得也。〈若或本有不可得也。〉但當有七百年之治也。今此國亡者。當在七百年之末也。

668年10月 唐の大将軍であるイ・ジョク(李勣)が高句麗を滅ぼした。高句麗の仲牟王(ちゅむおう)が初めてその国を建てたとき、千年治めることを望んだ。その母が言うことには、「もし善く国を治めるならそれも可能でしょう。ただし700年は治められるでしょう」。いまこの国が滅びるのは、まさに700年の末にあたる。

仲牟王(ちゅむおう)とはすなわち朱蒙のことである。つまり、その母というのはユファ夫人のことになるわけだ。

イ・ジョク(李勣)・・・ドラマ「ヨンゲソムン」ではイ・セミンと同様ヨンゲソムンの旧友という設定になっていた唐の名将。


ヨンゲソムンの遺言

2010年03月03日 | ヨンゲソムン

不思議なことに「日本書紀」にはヨンゲソムンの遺言が記録されている。

『日本書紀』巻二七天智天皇三年(六六四)十月是月◆是月。高麗大臣盖金終於其國。遣言於兒等曰。汝等兄弟。和如魚水。勿爭爵位。若不如是。必爲隣咲。

664年10月 高句麗の大臣ヨンゲソムンがその国で亡くなった。子供達に以下のような遺言を残した。

おまえたち兄弟は
魚と水のように和合し(一緒になり)
爵位を争ってはならない
もしそうでなかったら
必ず隣国の笑いものになる

※「咲」は「笑」の古字

ドラマ「ヨンゲソムン」最終回では、ヨンゲソムンの”生没年の具体的な記録は残されていない”というナレーションがあったが、上にあるとおり日本書紀には記録が残っているわけである。(ただし、実際は翌665年のことと解釈されているようだ)

史料によっては没年が666年となっているものもあるようだが、いずれにせよ高句麗滅亡の年(668年)の前には既に亡くなっていたはずなので、ドラマの終盤で唐の将軍イ・ジョクとヨンゲソムンが語り合う場面はあり得ないということになる。


日本書紀にあるナムセンの記述

2010年03月02日 | ヨンゲソムン

ドラマ「ヨンゲソムン」もいよいよ明日で最終回。よくもここまで続けて観てきたものである。「朱蒙」、「風の国」や「善徳女王」などと比較すると、ドラマとして肝心な盛り上がりが決定的に欠けているし、何より壮年期以降のヨンゲソムンの配役・演技には疑問ばかり。韓国では有名な俳優さん(?)なのかもしれないが、どう見てもイ・セミンの方が人間的に優れている印象が強いではないか。

それでもここまで見続けてこられたのは、かなり細かな部分まで史実を忠実になぞっている展開が多かったからである。基本的には「三国史記」、「三国遺事」をベースにしていると思うのだが、途中のナレーションでも語られるように一般には偽書と呼ばれる史書まで参考にして徹底的に史実を復元しているような印象を受けた。

もちろんドラマならではの脚色・演出の部分はあるのだが、歴史的な事件や隋・唐の国内事情などはWikipediaに記述のある内容そのものだったりすることが多く、その点はかなり興味深かった。

さらに、このブログでもちょくちょく引用してきたが、「日本書紀」の中にもドラマとリンクする高句麗の記述が結構ある。 本日(第99話)とおそらく最終回で描かれる内容についてはずばりそのものが記録に残っている。

『日本書紀』巻二七天智天皇六年(六六七)十月◆冬十月。高麗太兄男生出城巡國。於是。城内二弟。聞側助士大夫之惡言。拒而勿入。由是男生奔入大唐謀滅其國。

667年10月 高句麗の大兄(官位の種類)である男生(ナムセン)が城を出て諸国を巡った。このとき、城内に残っていた弟二人が、側近の人たちの悪だくらみを聞き入れ、(ナムセンが戻るのを)拒んだので(ナムセンは)入ることができなかった。このためナムセンは・・・

以下、最終回に続く。