朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

6世紀後半の新羅の領土

2011年06月27日 | 善徳女王

一般に高句麗・百済・新羅の三国時代の領土というと、新羅が半島の東南部分だけとなっている地図を目にすることが多いが、ドラマ「善徳女王」の時代背景にはそぐわない。

たとえば、ドラマでもたびたび登場する党項(タンハン)城のあった場所は半島の西側である。ここから海に出られたから隋・唐と交易することが可能だったわけだ。

たまたまWikipediaの英語版でSillaを調べてみたら576年当時の領土を示す地図が使われていた。576年は真興王(チヌン大帝)が亡くなった年であり、5世紀終わりごろの地図と比較すると真興王(チヌン大帝)がいかに領土を広げたのかよくわかる。

その功績の偉大さは高句麗で言えば広開土王に匹敵するものだと思うが、それを可能にしたのは、やはり伽耶を併合したことが大きかったのではないだろうか。伽耶の製鉄技術は当時の朝鮮半島内でも抜きん出ており、その高い技術が軍事的にも大きな役割を果たしたのではないかと思う。

 


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