朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

牡丹図 ケベク第20話

2012年08月20日 | 階伯(ケベク)

視察のため王に新羅行きを相談するウィジャたち。

フンス:この春、シルラで地震があったことは王様もご存知かと。被災した民に食料を与え、倒れた家を建て直すと約束致します。

善徳女王2年(633)2月、王都に地震があった。

しかし、ドラマ中で「昨年チルスクとソップムが反乱を起こしたように・・・」とのセリフがあることから、ウィジャたちがシルラを訪問したのはチルスクとソップムの乱(631年5月)の翌年、つまり632年ということになる(地震の前)。この辺り、相変わらずだが史実との整合性に欠ける。

 

●牡丹図

唐の皇帝から善徳女王の即位記念に贈られたとされる。
ドラマ内では独特な解釈がされていたが、「三国史記」における記述は以下のとおり。

前王の時代に、唐からもらった牡丹の花の図とその種とを徳曼にみせた。すると、得曼は、
(以下八字欠、文意不明)
といった。王は笑って、
おまえはどうして(二十二字欠、文意不明)
〔といった。徳曼は、〕
・・・・・・この花はたいへんあでやかであるのに、この図には蜂も蝶も描いていません。〔このことから〕この牡丹は、きっと香りのない花で〔あろうと思いま〕す。
〔と答えた。〕この種を植えると、はたして徳曼のいうとおりであった。その先のことを識る〔能力〕は、このようであった。

同じ話が「三国遺事」にもある。

唐の太宗が紅・紫・白の三色で描いた牡丹の絵と、その種子を三升送ってきたときのことである。(徳曼は)王の描いた花を見て「この花にはたぶん香りがないだろう」といい、その種子を庭に播いたところ、花が咲いてから落ちるまで、はたして香りがなかった。
(中略)
(王が在世していた)当時、臣下たちが王に、「どうして花と蛙の二つの出来事がおわかりでしたか」とうかがうと、王がいうには、「花を描きながら蝶がないことから、香りがないのがわかる。これは唐の王が私に配偶者がいないのを戯れたのである。」

 


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