朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

「ヨンゲソムン」中盤のメモ

2009年12月04日 | ヨンゲソムン
ドラマ「ヨンゲソムン」も先週で40話まで完了。段々物語が動き出したという感もあるが、ここしばらくの展開は「ヨンゲソムン」というよりドラマ「ヤン・グァン」という印象である。主人公の登場時間があまりに少なくないか?

青年期のヨンゲソムンが出演する「三国流転 立志編」は、確か54話ぐらいまでだった記憶があるので、今週から来週にかけての放送ではかなり歴史が動いていくことになるのだろう(たぶん)。

さて、ここしばらくの放送から気になったポイントをまたもやメモしておく。


●32話
イ・ミル邸を訪問したゲソムン、三足烏の絵を見て驚く

「なぜこの烏の絵をお持ちなのですか 高句麗の国鳥かと存じます」
「高句麗の国鳥である前に 天の使いとして東夷(トンイ)族もこの烏を崇めていたのだ」
「しかし なぜ蒲山公(ポサンゴン)が?」
「祖先の出身は遼東(ヨドン)だ 高句麗の始祖チュモ王の子孫でもある イ氏となったのは 数代前の先祖が手柄を立て 姓を賜ったためだ」

イ・ミル(李密):蒲山公(ポサンゴン)


ナレーションより

イ・ミルは 隋の滅亡を決定づけた人物だ
天下に号令して 民の心をつかんだ時期もある
ある学者によれば 唐の魏微(ウィジン)によるイ・ミルの墓誌に イ・ミルは高句麗の始祖の子孫だと記されているそうだ
十分に信憑性のある話だ


煬帝の従甥、イ・セミン登場
彼が後の唐の皇帝「太宗」なのであり、ドラマ第2話で矢を受けた片目を○○○しまった凄まじい光景は忘れようにも忘れられない


●35話
実の父とは知らずヨン・テジョと会話を交わすゲソムン

「この信標(シンピョ)は何を表しているのですか」
「持ち主の出自を証明するものだ これを与えた方々はご両親である可能性が高い」
「両親?」
「そうだ 家族が別れねばならぬ時 それを渡すのが習慣だ チュモ王も信標でご子息を見つけられた」

チュモ王とはもちろん朱蒙のことである。折れた剣の片割れでユリを王子として理解したエピソード。


●36話
ヨン・テジョ 倭に向かう
果たして彼は倭にたどりついたのか。

チャン・ヒョン(張衡:侍衛大将軍)の更迭

以下、Wikipediaから

「隋書によれば、煬帝は父の妻である宣華夫人に迫ったが、夫人は病室に逃げ戻り文帝にそのことを告げた。文帝は怒り、楊勇を呼ぶように命じたがかなわず(このときの罵りは隋書では「畜生」とある)、その直後に張衡が病室に入ってきて女性全員を下がらせたなかで、文帝は崩御したといわれる。なお張衡は8年後に誅殺される。」


●37話

隋の進軍に関するヤン・グァンの説明
「朱蒙」で耳にした懐かしい地名が満載
ちなみにここで言う扶余(プヨ)は現在の韓国にも存在する地名であり、朱蒙の出自であるプヨ国とは別だと思う(たぶん)

まず左の第一軍は鏤方(ヌバン)道に向かえ
第二軍は長岑道(チャンジャム)、第三軍は溟海(ミョンヘ)道
第四軍は蓋馬(ケマ)道、第五軍は健安(コナン)道
第六軍は南蘇(ナムソ)道、第七軍は遼東(ヨドン)道
第八軍は玄莬(ヒョント)道、第八軍は扶余(プヨ)道
第十軍は朝鮮(チョソン)道、第十一軍は沃沮(オクチョ)道
第十二軍は楽浪(ナンナン)道に向かえ

ナレーションより

史書によると動員された兵の数は 113万3800人
後方の補給部隊を合わせれば
300万人を超えるとてつもない数だった
世界の歴史上例のない大兵力が
高句麗討伐のために動員されたのだ