同じ蹴鞠でも日本の宮中に伝わるものとはまるで違う。あれはどう見てもサッカーではないか。動と静、フェンシングと剣道ぐらいの差がある。(ちなみにサッカーというのはスピード感といい、リズム感といい、どう考えても本来は騎馬民族が有利なスポーツだと思う。一昔前に比べ強くなったとはいえ、日本代表がAクラスにかなわないのは、もともとが農耕民族だからではないのか。そんな風にも思ったりするが、実はそれも正解ではないのだな。まあ、それは余談なのでまたいつか。)
あまりの激しさにキム・チュンチュの衣服は破れてしまったのだが、これを縫い合わせたのがキム・ユシンの妹(次女の方)であるムニ(文姫)。これが縁で二人が結婚するというのは結構有名なエピソードである。
ところで、蹴鞠の際のハプニングというとすぐに思い出されるのは中大兄皇子と中臣鎌足の例の一件。(中大兄皇子の脱げてしまった靴を鎌足が拾ってどうのこうのという話)
というわけで、大化の改新で描写される蹴鞠のエピソードは、キム・ユシンとキム・チュンチュの件をパクったのではないかという説を唱える人もいる。中には鎌足の正体=キム・ユシンという妄想を語る人もいるが、さすがにそれはどうか。
ただし、鎌足がキム・ユシンに船を贈ったという事実が『日本書紀』に記載されている(天智天皇7年(668年))のは確かなので、二人の間に何らかの接点があったということも考えられるわけなのである。