朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

キム・チュンチュの初婚の相手

2011年11月01日 | 善徳女王

ソンファ姫の周辺を調査しているうちに、またもや新たな事実が発覚したので。

わかりやすいように図にしてみたが、結論から言えば、ドラマ「善徳女王」の中にも挿入された金春秋(キム・チュンチュ)と宝宗(ポジョン)の娘との結婚は、真平王の孫同士の結婚ということである。

真平王-チョンミョンーチュンチュの流れは問題ないと思う。

真平王の王妃は摩耶夫人であるが、その他多数のお妃さまの中に宝明宮主という人物がいる。父親は仇珍、母親は只召太后ということだが、只召太后という人は真興王(チヌン大帝)の母親にあたる人で、つまり真平王の曾祖母(そうそぼ)=ひいおばあちゃんでもある。

その宝明宮主と真平王の間にできた娘が良明公主
この良明公主はミシルの息子である宝宗(ポジョン)との間に宝良、宝羅という二人の娘をもうけている。このうちの一人がチュンチュの元に嫁入りしたというわけだ。

そしてチュンチュとの間にできた娘の名前が古陁炤(コタソ)であり、百済から大耶城を攻められたときの城主の妻で二人揃って殺害されたことは以前にも書いたとおり

ちなみに、チュンチュに嫁入りした宝宗の娘の名前は、「善徳女王」のキャスティングでは宝良(ポリャン)となっているが、「花郎世紀」によれば宝羅の方ということらしい。この辺にも混乱があるようだ。

 

とまあ、とにかく、この時代の新羅の親族関係が相当に入り組んでいることはこれまでにも何度か言及してきているのだが、ようやくわかってきたことがひとつ。

この時代の王族の血縁関係は、現代人の考える血縁関係とは相当に温度差があるということ。
単に王の血をひく子供である、孫であるというだけではそれほどありがたみがないというか、正統な身分の王妃との間に生まれないと重要視されないというか。その象徴が骨品制なのだろう。

たとえば、チュンチュはどこからどうみても真平王の孫なのであって、血縁だけ見たら何の問題もなく王位を継ぐ資格があるように思える。しかし、父親の龍樹(ヨンス)が廃位された真智帝の息子ということで聖骨(ソンゴル)から真骨(チンゴル)の身分に格下げになってしまったのである。

血縁より制度が優先する社会というわけだ。

そのように考えていくと、キム・ソヒョン(ユシンの父)が血縁的にはチヌン大帝の孫にあたるにも係わらず、父方の武力(ムリョク)が伽耶一族だったために身分的には低い立場にあったというのも理解できる気がする。(ソヒョンとマンミョンが親の反対を振り切って駆け落ちしたのは歴史的事実なのである)


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2 コメント

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2011-11-20 10:33:26
はじめまして、6年前から韓国ドラマにはまり特に歴史物が面白く 最近では「善徳女王」を一気に見てしまった者です。
いろいろ見てくると ドラマ同士でかぶっている人物がいて 違った国の視線で見ると こんなにも違うものか・・・ なんて思ったりもするのですが しょせん脚色されて史実とは異なりますからね・・。
それにしても日本の ただただ史実に忠実な歴史ドラマとは違い 本当に面白いですよね。
「善徳女王」でも疑問に思ったことが多々ありましたが このブログでだいぶ解消されました。
これからも更新を楽しみにしていますね。
「善徳女王」と「24」 (takizawa)
2011-11-21 00:12:58
コメントありがとうございます。
韓国ドラマの中でも「善徳女王」などはストーリーがよく練られていて展開がスピーディなので観だすとはまりますよね。
個人的に「善徳女王」の脚本家は絶対に「24-TWENTY FOUR-」を参考にしていると思い込んでいるのですが。

今後も不定期にですが更新していきますのでどうぞよろしくお願いします。

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