朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

コトバと音

2010年10月20日 | 考察ノート
「日本語」という言語が、世界的に見てもかなり特殊な言語だということを、多くの日本人は意外と気づいてないような気もする。

言葉としての日本語を構成する最小単位は、いわゆる50音のかな(ひらがな、カタカナ)であるが、一部例外を除いては基本的に「子音+母音」で成り立っている。まず、このこと自体が世界的に見ても珍しい例だろう。

英語の場合、アルファベット26文字のひとつひとつは、音の単位であってそれ自体は意味を持たない(もちろん例外はある)。
アルファベットの組み合わせで意味をなす言葉(単語)ができあがるわけだが、この「単語」には子音が重なる事が多い。
ひとつの単語に母音がひとつだけであとはすべて子音なんて例はいくらでもあるし、単語の終わりが子音で終わりがちというのも日本語と決定的に異なる点である。

歌というのは、言うまでもないが、言葉とメロディが密接に関連しているのであって、言葉が変わればメロディも変わるわけである。逆に、メロディが同じままで言葉(言語)が変わるとどうしてもムリが生じる。
だから、英語の歌を日本語に訳して歌うとどうしても違和感を覚えることになりがちだ。(古い話になるが、ポリスが「De Do Do Do, De Da Da Da」を日本語バージョンで歌った時のマヌケさと言ったらなかった)

音楽的に言えば、子音の多い言語の方がメロディに乗りやすい。
英語は日本語に比べて、言葉そのものが音楽的であると言ってもよいかもしれない。

最近では考えにくいことかもしれないが、かつて日本語はロックにならないと言われていた時代もあった。
それに果敢に挑戦したのが桑田佳祐であったわけだが。

興味を持ったので少し韓国語について調べてみたら、韓国語の場合は、「子音+母音」、「子音+母音+子音」の二通りがあるらしい。
音楽的な観点からすれば、日本語よりは英語に近いということかもしれない。

KARAの音楽を聞きながらこんなことをボンヤリ考えている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。