打倒!破廉恥学園

旋風寺武流PLが意味もなくただ、だらだらと掻き散らかすブログです。

壮大な伝言ゲーム

2009-03-16 05:39:38 | Weblog
4コマ漫画を読んでいたら、伝言ゲームをするという内容のネタがありました。

伝言ゲームなんて知らない人はいないと思うのですが説明をしますと、ある程度の人数(5人以上が望ましい)が一列に並んで先頭の人が長めのワード(例 ナイフとトンカチとロープをそれぞれ持った3人の男が港で喧嘩した)を自分の隣の人に耳打ちします。そしたら聞かされた人はまたその隣の人にこっそりと。そうして一番最後の人が、きちんと先頭の人のワードと一言一句同じに言えるかどうかというのを楽しむゲームです。

私も子供のころ遊んだことがありますが、これがなかなかに難しい。上の例で難しい部分を挙げてみれば、ナイフとトンカチとロープの順番通りに言えたかとか、人数とか、場所とか……その他接続語の間違いとか、正確さを欠く要素はありとあらゆる可能性であります。参加人数やワードの長さによってさらに難易度は増していきます。

たったこれだけのワードですら先頭の人の言うことと間違う可能性があるのですからねえ。

そう考えてみると、宗教なんかの神様仏様の教えなんて超壮大な伝言ゲームみたいなもんじゃないでしょうか。ふとそんな事を考えちゃたんですけど。

何千年前にえらいお方が話したこと事やった事。それを十数人が見て聞いて、それを本に書いたり人に伝えたりしていく。そしたらそれはどんどんどんどん広まっていくわけではないですか。その宗教が力を持てば持つほどに戒律や教えは伝言ゲームのように、先頭の人の教えと間違う可能性を孕んでいるんじゃないかと思うわけですよ。

神様仏様とはお会いした事はないですけど、おそらく間違ったことのない完璧な存在なのでしょう。しかし、人間は必ずと言っていいほどに完璧ではありません。人間が一枚噛んでいる限り間違いが絡む可能性は絶対にあります。

結論として何が言いたいのかというと、宗教の戒律とかを見ると、たまに「なんでこんな理不尽な決まり事があるんだろう」と考えちゃう事があるけど、それは壮大な伝言ゲームの結果の一つなんじゃないかなって思ってしまったということです。

不信心者のたわごとですが。