蝸牛天を仰いで笑い出す吉田香津代
季語は「蝸牛(かたつむり)」で夏。どう受け取ったら良いのか、半日ほど思いあぐねていた。想像の世界にせよ、蝸牛に「笑い」は結びつけにくいからだ。漫画化されたキャラクターを見ても、せいぜいが微笑どまりで、「笑い出す」様子にはほど遠い。私たちの常識的な感覚からすると、蝸牛は忍従の生き物のようである。ひたすら何かにじっと耐えていて、不平や不満もすべて飲み下し、日の当らないところで静かに一生を終えていくという具合だ。そんな蝸牛が、あるとき突然に「天を仰いで笑い出」したというのだから、ギクリとさせられる。しかもこの笑いは、どう考えても明るいそれではなく、むしろ悲鳴に近い笑いのようにしか写らない。今風の言葉で言えば、この蝸牛はこのときついに「切れた」のではなかろうか。そう考えると、実際に「切れた」のは蝸牛ではなく、作者その人であることに気がつき、ようやく句の姿が見えてきたように思えたのだった。いや、より正確に言えば、作者の何かに鬱屈した心が自身で切れる寸前に、蝸牛に乗り移って「切れさせた」のである。絶対に笑い出すはずのない蝸牛を思い切り笑わせることで、作者の抑圧された心情を少しは解きほぐしたかったのだと見てもよいだろう。と思って蝸牛をよくよく見直すと、もはやヒステリックな笑いは消えていて、おだやかな微笑に変わっている。……違うかなあ、難しい句だ。『白夜』(2005)所収。(清水哲男)
【蝸牛】 かたつむり
◇「かたつぶり」 ◇「ででむし」 ◇「でんでんむし」 ◇「蝸牛」(かぎゅう) ◇「まいまい」
マイマイ目の有肺種で、よく知られている陸生の巻貝。螺旋形の殻を負い、頭に屈伸する二対の角がある。フランスではこの一種のエスカルゴを珍重して食べる。「まいまい」「ででむし」「でんでんむし」などとも呼ばれる。
例句 作者
牧に降る雨は明るし蝸牛 嶋田一歩
蝸牛いまに飛び立つかも知れず 秋本恵美子
安心の角のばしきる蝸牛 阪本謙二
三畳の書斎に足りて蝸牛 岩崎健一
身の透けて仏の山のかたつむり つじ加代子
神を疑ひしでで虫ころげ落ちにけり 成瀬櫻桃子
雨あとの時を豊かにかたつむり 棚山波朗