丁寧に暮らす日もあり新茶汲む 奥田友子
目にとめて、すぐにどきりとした。私には「丁寧に暮らす」という意識がほとんどない。大げさではなく、生まれてこのかた、大半の日々を行き当たりばったりに暮らしてきた。貧乏性に近いと思うのだが、常に何かに追いまくられている感じで暮らしており、生活や人生に落ち着きというものがない。友人などには反対に、少なくとも見かけは、何事にも丁寧につきあい、悠然としている奴がいて、どうすればあんなふうに暮らせるのかと、いつも羨しく思ってきた。そんなわけで、句の「暮らす日も」の「も」に若干救われはするけれど、しかしこれは謙遜でもありそうだ。新茶の馥郁たる香りや味を本当に賞味するには、精神的にも身体的にもよほどの強靭さとゆとりがなければ適わない。そういうことなんだろうなあ。きっと、そうなんだ。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)
【新茶】 しんちゃ
◇「走り茶」 ◇「古茶」(こちゃ)
初夏の頃、新芽を摘んで製したその年の新しいお茶。その新鮮で高い香りが、特に珍重される。
例句 作者
新茶汲む母の齢をはるか越え 中村苑子
古茶新茶これより先も二人の居 村越化石
嘘言ひし口淋しくて新茶吸む 宍戸富美子
夜も更けて新茶ありしをおもひいづ 水原秋櫻子
生きて居るしるしに新茶おくるとか 高浜虚子