女房は下町育ち祭好き 高浜年尾
なんとも挨拶に困ってしまう句だ。作者が虚子の息子だからというのではない。下町育ちは祭好き。……か、どうかは一概にいえないから困るのである。そういう人もいるだろうし、そうでない人もいるはずだ。たとえ「女房」がそうだったとしても、女子高生はみんなプリクラ好きとマスコミが書くようなもので、なぜこんなことをわざわざ俳句にするのかと困惑してしまう。祭の威勢に女房のそれを参加させてやりたい愛情はわからないでもないが、だったら、もっと他の方策があるだろうに。時の勢いで作っちまったということなのだろうか。この句のように「そうなんだから、そうなんだ」という類の句は、見回してみるとけっこう多い。しかもこういう句は、どういうわけか記憶に残る。そこでまた、私などは困ってしまうのだ。なお、俳句で単に「祭」といえば夏の季語で「秋祭」とは区別してきた。この厳密さに、もはや現代的な意味はないと思うけれど、参考までに。『句日記三』所収。(清水哲男)
【祭】 まつり
◇「夏祭」 ◇「祭礼」 ◇「宵祭」 ◇「宵宮」 ◇「夜宮」(よみや) ◇「御輿」(みこし) ◇「渡御」(とぎょ) ◇「山車」(だし) ◇「祭囃子」(まつりばやし) ◇「祭太鼓」 ◇「祭笛」 ◇「祭衣」(まつりごろも) ◇「祭提燈」 ◇「祭髪」
祭は春夏秋それぞれにあるが、単に「祭」といえば夏祭を指す(もともとは京都の賀茂祭(葵祭)を「祭」、その他の神社の祭を「夏祭」として区別していたが、今は夏祭一般を「祭」と呼ぶ)。日本人は天地・自然の中に多くの神々の存在を認め敬い、農事の安定と豊穣を願って神に祈り、感謝を奉げ、1年の無事を共に喜び、それを祭として表現してきた。夏祭はもともと夏に多く発生する自然の災難や疫病から守ることを願い、神に祈るものとして始まった。これに対し、春祭は五穀豊穣の祈願、秋祭は収穫の喜びを祝う意味合いがある。《葵祭:夏)
例句 作者
神田川祭の中を流れけり 久保田万太郎
夕空と水との間祭笛 桂 信子
着崩れて祭の夜に紛れけり 秋山未踏
朴の葉に雨ひと粒や祭来る 永方裕子
荒神輿ときにやさしく練り戻す 上井正司
鉾蔵の暗さ百年一と昔 行方克巳
図体をぶつけて祭太鼓かな 大島雄作
浦の子のこんなにゐしや夏祭 上﨑暮潮
男らの汚れるまへの祭足袋 飯島晴子
路地に生れ路地に育ちし祭髪 菖蒲あや