春徂くやまごつく旅の五六日 吉川英治
上五の「春徂(ゆ)くや」は「春行くや」の意。「行く春」とともによく使われる季語で春の終わり。もう夏が近い。季節の変わり目だから、天候は不順でまだ安定していない。取材旅行の旅先であろうか。おそらくよく知らない土地だから、土地については詳しくない。それに加えて天候が不順ゆえに、いろいろとまごついてしまうことが多いのだろう。しかも一日や二日の旅ではないし、かといって長期滞在というわけでもないから、どこかしら中途半端である。主語が誰であるにせよ、ずばり「まごつく」という一語が効いている。同情したいところだが、滑稽な味わいも残していて、思わずほくそ笑んでしまう一句である。英治は取材のおりの旅行記などに俳句を書き残していた。「夏隣り古き三里の灸のあと」という句も、旅先での無聊の一句かと思われる。芭蕉の名句「行く春や鳥啼き魚の目は泪」はともかく、室生犀星の「行春や版木にのこる手毬唄」もよく知られた秀句である。英治といえば、無名時代(大正年間)に新作落語を七作書いていたことが、最近ニュースになった。そのうちの「弘法の灸」という噺が、十日ほど前に噺家によって初めて上演された。ぜひ聴いてみたいものである。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
夏近し】 なつちかし
◇「近き夏」 ◇「夏隣」
夏を間近にした心の弾みがうかがわれる。行春にいて夏の隣るのを感じるこころである。夜の明けるのも早くなり、新緑の眩しさの近きを思わせる。
例句 作者
街川の薬臭かすか夏隣 永方裕子
夏近し雲取山に雲湧けば 轡田 進
夏近き吊手拭のそよぎかな 鳴雪
夏近し葱に水をやりしより 高浜虚子
樹上より子の脚二本夏隣 林 翔
盤石をぬく燈台や夏近し 原 石鼎