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ビタミン・ミネラルに果物の仄かな香りに目覚める フルーツソムリエ

仏の世界  生かせ いのち

2011-10-19 11:42:23 | 高野山
 

Koyasan_sinpo

仏の世界           生かせ いのち 

 

                    古武隆善(大分県中津市 弘法寺 住職)

 障害者ふれあいサマーキャンプに当時小学校三年生の息子を連れて参加したことがあります。今まで障害者と関わったことがない息子が、変な目で見ないだろうか、妙な言動を発しないだろうか。いろいろなことが頭に浮かび、とても不安でした。

 現地に着くと、地元の大人、子ども、障害者とその付き添いの方、そしてレクリエーションボランティアの方がいました。年齢もさまざまで、幼時から長年者まで幅広い層でした。たくさんのゲームをして、みんなが一つになり、たくさんの笑いがあり、大変楽しい時間を過ごさせてもらいました。なかでも一番うれしかったのは、息子が何のこだわりもなく障害者の人たちの中に入りこみ、楽しく遊び、お話していたことでした。

 私にも同じような思い出があります。小学校三年生から春休みを利用して、自坊の団体でお四国を各県ずつ四年間かけてお参りしました。

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そのとき、大学生のお姉さんと一緒でした。、お姉さんは小さい頃の高熱が原因で、足と手と言語に障害をもっていました。話すのが少し不自由でしたが、とてもやさしく、ユーモアたっぷりの方でした。私はお姉さんにべったりついて手をつないでお参りを続けました。やさしいお姉さんができたことがうれしく、お姉さんの障害についてはまったく考えも感じもしていませんでした。

 しかし、高学年になったとき、お姉さんに寄せられる人の目が気になるようになりました。今までお姉さんの障害のことを深く考えていなかった私ですが、お姉さんと一緒にいたら私も同じだと思われると思い、お姉さんの手を振りほどいて先にどんどん歩き、言葉も交わさなくなったことを覚えています。心の中ではいけないとわかっているのですが、道行く大人たちの視線がとても痛く、お姉さんを無視するようになりました。「私とお姉さんは違うんだ。私はちゃんとしゃべれるし、走ることだってできるんだ」。

 私とは違う、それが差別なのです。何日間かお姉さんを無視して離れて歩きました。しかし、お姉さんはいつもと変わらぬ笑顔で接してくれました。何事もなかったように接してくれたお姉さんに、涙の出る思いと、幼い頃の切ない思いでが残りました。

 子どもの目には本来、差別というものはないのです。それはすべて大人が作り出したものです。お大師さんのお言葉の中に「生きとし生けるものの本体は、本来仏と同じ徳を備えて差別のあるものではない。このことを悟らないために衆生は長く苦しみ、このことを悟る諸仏は永久に安泰である」とあります。

 子供は大人より仏に近いかもしれません。障害者ふれあいサマーキャンプを見て、高齢者、成人、子供、障害者が一つになり、共に生き楽しんでいる姿こそ本来あるべき姿だと思いました。これがお大師さまのいう、すべてが仏と同じ徳を備えていて、差別のないことをを悟る仏の世界です。すべての人がともに認め合う仏の世界をつくってまいりましょう。                                      

          参与770001-4228(本多碩峯)