花はす物語
北原 隆義
蓮は泥水の中から美しい花を咲かせるので、人の生き方の理想にたとえられたり、仏さまの慈しみのはたらきにたとえられたりします。私たちが目にする仏さまの多くは端正な蓮の花の台(うてな)の上にいらっしゃいますが、それはどうして蓮の花でなければならなかったのでしょうか。
冬の間、暖かい泥の中で十分な休息をとった蓮根は、春になると茎をぐんと伸ばし、水の上に左右に巻いた状態の葉を出してきます。そして水面にのぞかせた小さな葉っぱから地上の空気と光をいっぱいに吸い込んで、今度はもっと立派で大きな葉を立ち上げます。やがて夏が近づくと、大きく茂った葉の問から花の蕾をすっと水面にのぼらせてきます。一つの蓮の花の寿命はわずか四日間です。開花一日目、真夏の早朝の午前五時ごろ、蕾の状態の花はゆっくり口をあけて徳利の形になります。色もだんだん濃くなってきます。しかし午前八時ぐらいになるともう閉じはじめ、花は一旦眠りにつきます。開花二日目、花は今度は夜中の一時ごろから開きはじめます。そして午前七時から九時ごろにかけてお椀の形になり、このとき色も香りも最も強く鮮やかになります。しかし昼ごろにはまた蕾の状態に戻ります。
開花三日目、やはり夜中の一時ごろから花は咲きはじめ、午前六時ごろにはお椀形、九時ごろには皿形になります。花は大きく開くのですが、もう色も香りも弱くなり、花びらも一枚一枚ひらひらと散っていってしまいます。昼からは花は半分閉じた状態となり、いよいよ最後の夜を過ごします。開花四日目、夜中の一時ごろから咲きはじめ、午前六時ごろには完全に開き、午後にはひとひらもなくなり、花托(かたく)と呼ばれる花の台だけが残ります。ですから、蓮の花の本当に勢いのある様子を見ようと思えば、まだ朝もやが残っているような早い時間に足を運ぶ必要があるのです。昼から行っても花のお休み中の姿を眺めることになりますから要注意です。
以前、福井県の南条というところに蓮の花を訪ねて行きました。そこは日本で一番大きな蓮の花畑で、夏になるとあたり一面、ピンクや白色の花と高貴な香りでいっぱいになります。花畑の間に設けられた道をのんびり歩いていると、子どものころ、茎を手折って葉の上で水玉をくるくる回して遊んだことを思い出しました。そういえば茎を折ったとき、蓮の甘い独特の香りがしました。
昭和天皇は昭和六十三年の夏、闘病生活の中でこんな歌を詠んでいらっしゃいます。「夏たけて堀のはちすの花みつつはとけの教え憶う朝かな」。
御所のお堀に咲く蓮の穏やかで尊い様子をご覧になって、陛下はどんなお気持ちだったのでしょう。戦争があり、そして敗戦があり、それでもくじけなかった人々を思う陛下の心もまた、蓮の花のような尊く汚れのないものだったのかもしれませんね。皆さんの家の近くに蓮の花の咲く場所があれば、今年の夏はぜひゆっくり見にお出かけください。蓮はきっと何物にも汚されることのない命の本当の姿を見せてくれることでしょう。
▽筆者は石川県七尾市
妙観院の副住職です。
本多碩峯 参与 770001-42288
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