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浄土思想と説話

2011-11-18 21:47:27 | 高野山
 

Koyasan_sinpo

 

文学に見える高野山千二百年点描

 

浄土思想と説話

 

 高野山高等学校教諭 山本 七重

 

 今回は、鴨長明(二五五~一二一六)が鎌倉時代に書いた 『発心集』という仏教説話集の中にでてくる「高野の南筑紫上人、出家登山の事」というお話をご紹介します。あら筋は以下の通りです。

 

 主人公は、南筑紫上人と呼ばれる人物で、もとは九州において莫大な財産を所有していた豪農でした。ところがある日、自分の財産の多きに疑問を持ち、財産も妻子も捨て、裸同然の姿で東方に向かって歩きかけました。そのことを知った十二、三歳の娘が父を連れ戻そうとして、その袖にすがるのですが、父は娘に向かって刀を抜き自らの髪を切って出家の意志の固いことを示します。その後、この南筑紫上人は高野山へ登り学問修行に励み極楽往生を遂げる、というもの。

 

 さて、この『発心集』が書かれた鎌倉時代は、高野山をはじめとして全国的に浄土思想が盛んでした。この浄土思想とは、ごく簡単に説明しますと、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを願うもので、ひたすら念仏を行いました。日本では特に源信(九四二~一〇一七)の『往生要集』という書物が大きな影響を与えたといわれています。

 

 『発心集』 の作者である鴨長明も晩年、この『往生要集』を座右において愛読したとのことで、『発心集』 の各説話にもその痕跡が見られますが、この「南筑紫上人」の説話も、浄土思想の風が高野山まで吹いてきた中で、現世ではなく、来世を真剣に求めた僧の話として、賞賛されています。

 

また、この説話には、浄土思想と同時に人間が持つ「執着」について脱する事の大切さも説かれています。

 

 この説話の最後の方の言葉は「惜しむべき資財につけて厭心を発しけむ、いとありがたき心なり」(普通の人間であれば当然惜しむであろう財産を因縁として、出家する心を発こしたのはめったにない、すばらしいことである)となっていますが、これは、遁世者の名誉や財産をいかに克服するかという大きな課題に対する例話としてかたられたもので、原文をご紹介できずに残念ですが、緊張をもった美しい文章で語られています。

 

 仏教では、地位や名誉、あるいは財産など名利を否定し、修行を進めますが、この話も財産の否定とともに修行による往生を勧めたものです。

 

 この説話から私たちも、「物にとらわれない心」について考えたいものであう。

 

 なお以下は余談ですが、日本語には「掛詞」(同音異議を利用して、一語に二つ以上の意味を持たせる)や「縁語」(言葉と意味以上の縁ある言葉)などの特性がありますが、学生時代にこの説話を勉強した時、ユーモアーのある国文学の先生がクイズを出され「袖にすがって引き留めようとした娘に、父親は刀を抜かずに何といえば良かったか」と質問された。ある学生が、「離せばわかる(話せばわかる)ですか」と答えると、先生すかさず「座布団二枚」と言われ、教室は笑いに包まれた。・・・・・・学生時代の古典文学に関する楽しい思い出です。                                       合掌

 

Sashie02
       参与770001-4228(本多碩峯)






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