広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

カイハのサクラ

2020-04-21 23:23:03 | 秋田の地理
ソメイヨシノが満開になった秋田市は、雨や風の日もあったが、長持ちした。そろそろ散り始めてきた。
秋田市中央部のとある街区公園。
住宅に囲まれた、やや小さめで開けっぴろげな公園に、ソメイヨシノが3本。小さい八重桜と枝垂れ桜も1本ずつあった。


右奥に大きな建物
上の写真右奥の建物は、秋田市立秋田総合病院。
1984年に建てられた現在の建物は建て替えられることになり、現在は隣接地で着工が始まったようだ。
子ども心に新しくてきれいな病院が建ったのを覚えており、秋田市内の総合病院の中で建物が新しい部類だと思っていたが、考えてみれば、他の各病院はその後に新しくなっている。
2022年完成予定らしいから、来年の桜の頃には、隣に新しい建物ができているかどうかか。

そんな公園の名前は、
「川尻カイハ街区公園」
カタカナで「カイハ」が斬新というか不思議な響きかもしれない。
といっても、秋田市民ならお分かりだろう。ここの所在地は「川元開和町(かわもとかいわまち)」。
「開和」の旧仮名遣い「かいは」で、読みは「かいわ」だと考えられる。

となると、もう1点。住所は「川元」なのに、公園名は「川尻」。
地元の方々は違うだろうが、よそ者には、大字レベル・エリア名としての川尻と川元の区別はあいまい。両地域は隣接することもあって、川元も含めて一括して「川尻」としてしまうこともある。「川元」という地名は、秋田市ではマイナーな部類かも。


秋田市のサイトで調べると、住居表示実施で川元開和町が誕生したのが1965年4月1日。「川元」という地域区分もこの時に新設されたようで、他の川元○○町も同時にできた。
住居表示実施前には「川尻町字カイハ」という町名が存在した。この時に、川元開和町と旭南一丁目となって、消滅した。
現在は、県道56号(広義では新国道に含むか?)が川元と旭南の境だが、それ以前は向かい側も川尻の部分もあったことになる。県道のほうが後にできたのだろう。
ちなみに、小学校の通学区は、川元開和町の中でも川尻小学区と旭南小学区に分かれている。たしかに両小学校だけでなく旭北小も含めて、距離的にはさほど違わなそう。中学校はすべて山王学区。
なお、1965年春には「山王」地区も誕生しているが、その大部分も従前は大字川尻だった。本来の川尻はとても広かった。
【22日補足】現在は、旭川、国道7号(臨海バイパス)、御休通り、県道56号で囲まれたエリアで、その中央を南北に貫く(けやき通りから続く)市立病院西口の通りを境にして、西側が川尻・東側が川元。


「カイハ」の由来は、それこそ「開和」なんだろうか。1912年の地形図を見ると、この辺りは田んぼ(旭南小学校は既に現在地にある)だった。明治以前に開拓されて田んぼになったこと、あるいは戦後だろうか田んぼが宅地化された時の新しい地名として、カイハになったのだろうか。

川尻カイハ街区公園は1964年12月15日供用開始。住居表示の直前。
4か月後の住居表示実施は分かっていただろうし、その後のタイミングででも「川元開和町街区公園」にしてしまわず、50年以上残っているのがおもしろい。
【23日補足】「街区公園」の名称ができたのは比較的最近なので、当初は「児童公園」などだったと考えられる。写真の標柱も後年の設置のはず。
秋田市の街区公園では、このような昔の地名、さらには町内会名とか分譲地名などが由来のものが少なくなく(反対におおざっぱなものもある)、名称ではピンと来ないこともある。でも、街区公園は近隣住民が主に使うものだし、その土地の成り立ちや歴史を留めるということでは、それでいいのかもしれない。

2020年の桜の続き

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