広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

大野四区

2011-12-06 23:05:31 | 秋田の地理
先日の続きで、仁井田字大野。※大野地区の一連の記事の最初はこちら
前回は「大野二区」バス停を過ぎたところの「大野八幡神社」まで来ていた。
神社の前の道路のすぐ先は突き当りで、丁字路。左側はバスが通れないほど狭いので必然的に右折。
右折して進む
右折した100数十メートル先も、また突き当りで丁字路。
突き当りにもケヤキの木がある
その丁字路の手前の塀際に、次のバス停があった。
「大野三区」
大野二区とはやや距離があり、500メートルほど離れている。こちらもポールがあるのは下り側のみ。

この丁字路では、バスは左折する。
ちなみに右折すると、先でさらに2つに分かれていて、それぞれ「大野」バス停のところの信号機付き交差点と「大野一区」バス停の不整形の交差点につながっている。どちらの沿道も今まで来た道同様、農家のお宅が点在するようだ。

この辺りには、なんと茅葺き屋根のお宅があった。秋田市中心部にいちばん近い茅葺きの家かもしれない。秋田では少数派の瓦屋根のお宅もある。

左折して150メートル強。
道端の砂利敷きの空き地にバス停(写真左)が!(奥が大野三区方向)
この空き地が、バスが方向転換・時間調整する「回転地」というヤツだ。
「南浜回転地」とか「ノースアジア大学回転地」とかいうのだから、だったらここも「大野回転地」にするべきじゃないの?
左側が回転地。奥がバス路線方向(あまりに個人のお宅が写ってしまうので、加工しています)

ついに終点「大野四区」に到着。
ダイコンと大野四区

歩いてみた感想としては、秋田市中心部に近い農村部で、周辺は宅地化が進んでいるのに、宅地化を逃れて古くからの農村らしさを感じさせる、ちょっと不思議な地域だった。
地域内の農家のお宅は新築やリフォームされているから「タイムスリップしたような」という表現は適切ではないけれど、新興住宅地と農村の間に目に見えない線引きがされているようで、そのギャップがおもしろいと感じた。


さて、大野線のルートとバス停を地図に記してみた。
国土交通省国土地理院「電子国土Webシステム」より抜粋・加筆
大野口より先の大野線単独区間の約2.1キロには、小中島入口・大野・大野一区・大野二区・大野三区・大野四区というバス停がある。
平均すれば300メートル間隔だが、大野と大野一区、大野二区と大野三区のように、400~500メートルの間隔がある区間もある。もう少し近接したバス停があってもいいかもしれない。

ところで、秋田市周辺では1つの地域内に複数のバス停がある場合、その名前は「◯◯上丁/中丁/下丁(まれに東西南北+丁)」とされるか「◯◯一区、二区…」とされるケースが多い。
後者の場合、バス停は無限に存在してもいいわけだが、せいぜい「二区」か「三区」までのことが多い(浜田の「中村三区」、「滝ノ下三区」がある)。
「四区」以上あるのは飯島地区(現在は秋田市マイタウンバス化)の「中野四区」と、この大野線の「大野四区」だけかもしれない。

大野線の場合は、「大野」というバス停があって、その後さらに「大野一区」から「大野四区」があり、変則的。
「大野」を「大野一区」として、以降1つずつ繰り下げて、終点を「大野五区」とした方が分かりやすそうなのに。この命名方法が、ちょっと不思議に感じていた。

すると、前回の記事にコメントをいただいた。
それによれば、元々大野線は「大野」が起終点で、1970年代末期に大野以降が延長されて大野四区折り返しになったのだという。
とすれば、その延長区間に新設されたバス停を、順番に1~4区としたのだろう。数字を繰り下げたりすれば混乱が生じるから、このように対処したと考えれば合点がいく。
【9日追記】その後、大野止まりではなく、大野から左折して再び国道へ出ていたという訂正のコメントをいただいた。ともかく、大野→大野一区ではない、現在とは異なる系統や路線が以前はあったようだ。


僕は、古くからの農村部を走る路線だから、ずっと昔から大野四区まで行っていたのだと思っていた。しかし、大野集落の中を走るようになったのは、ここ30年ほどの間だったというのが意外だった。
※ちなみに前々回、国道の交差点に「大野まで1キロ」という標識が出ているのを紹介したが、「大野一区」バス停付近が約1キロ地点。
ということは、大野線は大野地区の住民の利用よりも、宅地化が著しかった近隣の仁井田新田や(今でいう)御野場新町辺りの住民の利用を想定していたと考えられなくもない。
ただ、農業試験場や田んぼ、川もあるので、“沿線人口”はそれほど多くなかったのかもしれないし、ましてこんなに減便されてしまっては…
国道を通るバスもあるし、その中でも大野一区の1キロほど東側のより人口の多い御野場地域を「仁井田御所野線」が1時間に1本ほど走っているので、バス会社としても乗客としても、不都合はないのかもしれない。


さて、大野四区の北側には、田畑や農業試験場跡地が広がる。市立大住小学校が遠くない位置に見える。
バス停のさらに先は、幅が細くなっているが道がある。こちらを進めば秋田市中心部へ戻れそうなので、行ってみた。
こんな道
カーブのある道で周囲は畑か空き地が多い。夜は通りたくない。
そこを300メートルほど進むと、風景が一変した。
右奥が大野四区方向
歩道付きの幅の広い道になり、沿道にはびっしりと家が並ぶ。
新興住宅地の光景
この通りは、別のバス路線「大住・みなみ野団地線」が通る道だったのだ。

“孤高の終点”に見えた「大野四区」だが、実はすぐ北西を別路線が通っていたわけか。
みなみ野団地線は毎時1~2本運行されているから、こちらの方が利用しやすそうだ。

もちろん現在は、大野線もみなみ野団地線も中央交通が運行しているが、大住・みなみ野団地線は秋田市交通局からの移管路線。大野線とかつてはライバル関係と言える。
そんな市営バス時代の大住・みなみ野団地線の歴史を紐解いてみると、この地域の宅地化の進展や、市営バスと中央交通が互いに意識し合っていたことを垣間見られることが分かった。
大野地区の話ばかり引っ張って申し訳ないですが、もう少し続きます。※続きはこちら(カテゴリーが異なります)

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4 コメント

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訂正です (まこちゃん)
2011-12-09 21:24:52
以前「大野」が終点で・・・と書きましたが、母に聞いたところ「大野」が終点ではなく、13号線から「大野」までバスが入ってきて、また「大野」を左折し13号方面にバスが向かって行ったそうです。そのバス路線の詳しいことは分りませんが、仁井田小学校や仁井田農協方面の地区に向かっていった路線ではないかと思われます。わざわざ13号線から一度大野まで入ってまた13号線に向かっていたとのことです。間違った情報申し訳ございませんでした。
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なるほど (taic02)
2011-12-09 22:25:45
国道の切上の三叉路付近の「上新田」を通らずに小中島入口・大野を通り、今はローソンがある交差点で再び国道に出て(交わって)いたということですね。

そういえば、バスの行き先表示で「目長田団地」というのを見たことがあります。(回転途中に見ただけで、運行しているところではありません)
中央交通のオリジナル路線の知識はほとんどないですが、昔はけっこう複雑な路線網だったのかもしれませんね。今も、イマイチ把握し切れていませんが…
わざわざありがとうございました。
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仁井田方面のバス (すしはたはた)
2016-11-26 00:33:04
楽しいブログいつも拝見しております。だいぶ時間がたってますが少々コメントしたいと思います。
仁井田地区は20数年位前まで、バスが縦横無尽に走ってたと記憶してます。まず、他の方のコメントにもありますが、仁井田線は大野口から大野へと向かい左折して仁井田新田→仁井田幼稚園と農協の方へ、それから仁井田中丁→仁井田下丁(一区~三区)と国道を何回も渡る経路で走っていた路線が、ニュータウン御野場へ乗り入れるようになり、そのうち仁井田集落を走るのをやめて今の経路になって御所野まで伸びて仁井田御所野線になっていったはずです。そして農業試験場があった頃は試験場内にバス停があったので、何本かは乗り入れていたかと思います。
それから大野線も日赤病院ができたとき、かなり遠回りですが大野から御野場新町、御野場団地を通って13号に出て横山金足線を通って日赤病院へ向かう路線になったようでしたが利用者がいなかったのか従来の大野線に戻ったみたいです。(御野場団地内は反時計回りしないで御野場大通りを両側通行してたような…)また、目長田団地線は切上から三叉路を入り雄和線と同じように進み、四ツ小屋の方に曲がらないでそのまま直進して仲谷地という方に向かい、団地の中を回っていたかと記憶してます。
このように、仁井田地区は国道を御野場団地線と岩見三内線が、旧道を四ツ小屋、雄和方面に行くバスが走り、さらに仁井田の集落内を発着するバスが何系統かあり、ありとあらゆる道をバスが走っていました。今だと考えられませんね。
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昔の路線 (taic02)
2016-11-26 17:41:47
ありがとうございます。古い記事へのコメントは大歓迎です。(自分でアップしたことすら忘れていることもありますが…)

農試へバスが入っていたこと、大野経由日赤方面があったとは、知らなかったです。
大昔は、御野場など新興住宅街は田んぼだったでしょうから、点在する古くからの集落を取りこぼさずに結ぶように、複数経路があったり、国道をはさんでジグザグ運行だったりしたのでしょうか。

旧雄和町の循環バス「ユーグル」登場前の雄和方面は、行き先が複数あって把握しきれていませんでした。
さらに市営バスもあり、それらを含めると、昔の牛島方面は経路も行き先もとてもバリエーションが豊富だったようですね。
今はそれが整理統合されたのみならず、本数もかなり減ってしまい、寂しい限りです。
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