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秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

こまち20周年

2017-03-22 23:53:25 | 昔のこと
以前から触れているように、今年3月22日で、秋田新幹線「こまち」は1997年の開業から20年を迎えた。秋田駅の駅舎(自由通路も含む)も同年3月16日に新しくなったので、20年。
2年前の記事でも、1997年3月22日のことを取り上げました。
2004年7月撮影。秋田駅を出るE3系
↑手前は現在駐車場の部分。まだ整備中で線路が残っている。
線路向こう・西側の風景は開業時とあまり変わっていないはず。左端にわずかに非常階段が写っている茶色い建物は2004年にできたホテルアルファーワン。開業時はミスドが入る鎌田会館だった。

開業した1997年はどんな年かと言えば、 ※1997年の出来事を列挙するので、3月22日以降に発生したものもあります。
・秋田市が中核市に
・秋田ケーブルテレビ開局
・秋田市(秋田県としても初)にローソン進出(関連記事
・イオン秋田ショッピングセンター(現・イオンモール秋田)に青森の百貨店「中三」進出(2008年撤退)
・秋田フォーラスにタワーレコード進出(現在フォーラスはOPAへ改装中。改装後のタワレコの営業継続は不明【改装後も営業し、2023年閉店】)
・大館樹海ドームオープン
・秋田市に商業施設サン・パティオ大町オープン。その隣接地で地ビール「あくらビール」醸造開始
など、街の元気さを感じさせるような話題が多かった。まだそんな時代だったのか…
なお、日赤病院の郊外移転や通町の再開発(通町橋架け替え)は、翌1998年。

秋田以外では、世界ではイギリスから中国への香港返還、クローン羊“ドリー”の発表(誕生は前年)、ダイアナ妃事故死。国内では消費税率の3%から5%への引き上げ、フジテレビの台場への移転があり、カヌレに続いてベルギーワッフルがブームになり、NHKの連続テレビ小説では個人的にはベスト作品である「あぐり」(年度前半)が放送されていた。
【27日追記】インターネットが徐々に広まった頃でもあった。前年のYahoo! JAPANに続き、楽天市場や我らがgoo(ブログはまだ)がサービスを開始。当時はネットで買い物なんて信じられなかったから、僕は楽天は存在すら知らなかったかもしれない。gooはロボット型検索エンジン(当時のYahooはディレクトリ型)の目新しさと日本企業の提供という信頼感から、けっこう使っていた。

色あせてしまったけれど、350ml缶
当時は500mlなど小容量のPETボトルは解禁(1996年?)されて間もない頃で、飲みきりサイズの飲料は、まだ缶入りが主流。缶飲料では、地域ごとのイベントなどの特別デザインのものが発売されることがあった。【26日補足・現在でも缶ビールではけっこうやっている】
1994年に「茶流彩彩」シリーズの1つとして発売され、ヒットした日本コカ・コーラ「爽健美茶」では、秋田新幹線開業を祝うデザインの缶が売られていた。おそらく1996年頃。
E3系がデザインされているが、鼻先の形状からして量産先行車・R1編成
なお、爽健美茶は1997年に500mlPETボトルが登場し、1999年に茶流彩彩から独立して現在に至る。


開業日前後、僕は大学の春休み終盤で、まだ秋田にいた。
それ以前に試運転列車を見に行って「ついに秋田に新幹線が来たか」と感慨にふけったり、知人の見送りの名目で、先立って供用された新駅舎の在来線側改札内に入ったりした。
開業日当日は、テレビで見た程度。2年前の記事でも取り上げた沿線でのナマハゲによる歓迎のほか、秋田駅ホームでの出発式の記憶がある。その出発式のテープカットでは、ミッキーマウスがなぜかいたのと、石川錬治郎秋田市長(当時)がなぜか羽織袴姿(上が茶色、下がベージュ色)だったのが、強烈。
テープカットには、佐々木喜久治秋田県知事(当時)もいたはずで、佐々木氏は秋田新幹線の開業に尽力したはずなのに、それより市長が目立ってしまっていた。佐々木氏は、秋田県庁の食糧費問題の責任を取って、この直後の1997年3月31日で知事を辞任した。だから控えめだったのかな。
テープカットは、始発の6時12分発「こまち10号」だったようだ。
先日、始発こまちに乗った時は、天候が良くなく、日の出は過ぎたのに、完全に明るくなってはいなかったが、20年前は充分に明るくなっていた記憶。
この日の天気は「曇時々雨後晴」。雨は9時頃に降って、朝は曇りだった。最低気温0.4度、最高気温9.3度と、ほぼ平年並み。


上記の通り、消費税率が5%になったのも1997年で、4月1日。
秋田新幹線が開業して10日後に、運賃・料金が値上げされたことになる。
ちなみに、僕は4月1日に弘前へ帰ったのだが、乗車券の増税分をケチって、前日のうちに3%の税率で購入しておいた。

弘前では、地元の人に「秋田は新幹線ができたんだよね。いいね」とうらやましがられた。
当時は、東北新幹線・盛岡-八戸は2002年開業に向けてフル規格で工事が進んでいたのだろうが、八戸-青森については、秋田同様のミニ新幹線方式で開業する計画だったようだ。
翌1998年に青森(新青森)までフル規格とすることに転換し、2010年に開業にこぎつけた。その結果、弘前-東京は乗り換えが必要ではあるが、秋田-東京と時間的にはほぼ変わりなくなってしまっている。
【4月4日追記】忘れていたけれど、2002年までは東北新幹線は盛岡止まりだったから、こまちの連結相手(当時は「やまびこ」)も当然盛岡発着だった。当初は、盛岡-仙台が各駅停車の「やまびこ」と仙台駅で分割併合を行うこまちもあった。


その後、20年の変化は、
列車は、当初の5両編成に1両増結して6両化(1998年=5両だったのは短期間)、全席指定席化(2002年・東北新幹線八戸開業時)、全車禁煙(2007年)、そしてE3系からE6系への交代(2014年)等々。
駅舎は、自動改札導入(新幹線1999年、在来線2006年)、自由通路の西側への延伸(ぽぽろーどとして2000年。それまでは駅前交番のところで終わっていた)、東側に続く拠点センターアルヴェの落成(2004年)、そして現在進行中の店舗と駐車場のリニューアルなど、いろいろな変化があった。
でも、大勢としてはあまり変わっていないような気もする。もう20年も経ってしまったのかという感じ。

こまちの延べ利用者数は、2001年9月16日に1千万人、2006年3月11日に2千万人、2010年8月15日に3千万人、2015年6月12日に4千万人。


ところで、かつて「こまち」でこんなサービスがあったのをご存知でしょうか。
これがタダでもらえた
うろ覚えだけど、上り朝イチ(2号?)とその次の臨時列車(4号?)の指定席を(秋田と大曲から?)利用した乗客に、おにぎりを配っていた時期があった。
写真は2001年11月に利用した時のもので、横にある紙パック200ml【28日補足・250mlかな?】の「おーいお茶」ももらったものだろうか?
シールに「こまちモーニングセット」とあるので、そういうサービス名だったのか。その下の「おはよう東京フリーきっぷ こまち朝割」は朝の列車限定で安くなるきっぷの商品名だが、そのきっぷ以外でも、指定席の全乗客がもらうことができた。この時は「三連休パス(当時は指定席が4回まで追加料金なしで利用できた)」で乗車してもらったはず。

おにぎりは車内販売でおなじみの日本レストランエンタプライズ(NRE。旧・日本食堂)秋田営業支店製で、配るのもNREの車内販売の人だった。
NREは駅弁のほか、スーパーなどで発売する個包装のおにぎりも製造していて、当時はダイエーでも売っていた。

これは漬け物(かっぱ漬=キュウリなど)付き、海苔直巻きおにぎり2個。おにぎりはコンビニおにぎり並みの形状・サイズで、中身は鮭フレークと梅干しかつお。
「あきたこまち減農薬特別栽培米使用」とあり、実際、とてもおいしかった記憶がある。

「おはよう東京フリーきっぷ」は2001年夏頃に発売が始まり、そのキャンペーンとしてモーニングセットをプレゼントする「トクだ値キャンペーン」が行われたようだ。同年初冬までは行われていたことになるが、いつまで行われたのかは不明。【2017年4月13日追記】2002年の全席指定席化時までかもしれない。


時を戻して今日22日には、秋田駅ホームで20周年記念セレモニーが挙行された。【24日補足】「記念出発式」という名称で、9時12分の14号出発時に実施。
20年前の1番列車(10号)の運転士と車掌が当時の制服を着用して、現在の運転士と車掌へ花束を贈呈。【24日補足】元運転士は土田さん(70)、元車掌は笹本さん(75)。笹本車掌は名物車掌で、「あけぼの」の時にも報道で取り上げられていた。
テープカットではなくくす玉を割って、列車を見送った。
司会は2016年春に秋田テレビアナウンサーを退職した、後藤美菜子さんだった。今はフリーアナウンサーになったようで、秋田テレビの情報番組にもたまに出演しているそうだ。

ほかに、記念入場券セットの発売もされ、盛岡駅での模様がIBC岩手放送のニュースになっていた。IBCでは、20年前の開業時の映像も流れ、袴の錬治郎氏も映った。秋田にはTBS系列局がなく、当時はIBCが秋田市に支局を置いて取材していた(関連記事)が、秋田新幹線開業についてもしっかり取材して映像を保存していることになる。

そして、22日から、秋田駅ホームの発車メロディーが新しくなった
さらに、この春で国鉄分割民営化・JR発足から30年となる。20年前は10周年だったわけだが、こまち開業に気を取られたのか、その意識はなかったかもしれない。
【30日追記】「ノスタルジックビュートレイン」に代わって「リゾートしらかみ」の運行が始まったのも、秋田新幹線開業時。てっきり、同日の3月22日だと思い込んでいたが、リゾートしらかみは4月1日運行開始とのこと。

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4 コメント

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様々な変化 (FMEN)
2017-03-23 00:08:22
04の写真はヨーカドー、フォーラス、E3で泣けました。
自分がしるこまち変化ネタは
・東北は200→E2→E5
・福島や郡山にも停車
・車はこまちなのにやまびこなる系統
なんかやまびこばかり。

NHKは気合いいれて報道してましたが、これがこないだの月曜(春分)なら仙台に流す最低限の映像のみだったのかなと思うと。
開業日の進行はABSの美知子さんだったようです。
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200系と停車駅 (taic02)
2017-03-23 00:33:54
何気なく撮った写真ですが、たった10年ちょっとで懐かしくなってしまうんですね…
秋田ではもう関係ないですが、ヨーカドーの看板を、再びあのハトマークに戻すとか。

そうそう。最初はほとんどが200系と連結し、一部は福島、郡山、あと宇都宮にも停まっていましたね。
200系相手だとちぐはぐな見かけで、性能的にも難があったことでしょう。今は福島以南は乗り換えが必要で、かえって不便になりました。対仙台・東京に特化してしまったのも、考えものです。
ほかに、盛岡でなく仙台で連結/解結を行い、仙台-盛岡を単独で走るこまちもありました。

美知子さんは、雇用延長とか再雇用なんでしょうか。20年後もなお活躍されているなら、今回もお願いすればよかったのに。
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Unknown (ゆりの花子)
2017-06-02 03:26:26
貴殿の記憶力が素晴らしいと思うと同時に文面も素晴らしい。どうして、そんなに詳しいの?また、一番感動した箇所は、こまち開業には多くの方々のご尽力の賜物だと。しかしながら、やはり佐々木知事のお力があったからこそと思います。
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ありがとうございます (taic02)
2017-06-02 23:25:56
お褒めいただき恐縮です。
元々鉄道が好きだし、当時はいろいろ思い出が多かった時期なので、よく覚えているのです。それと、今はネットで検索すれば、その記憶を補強できるので…
先に開業したのは山形でしたが、ミニ新幹線方式に最初に目をつけたのは秋田の佐々木氏だったとのこと。いずれにしても、秋田にフル規格新幹線を造るのは当時も今も現実的ではないと思うので、これが正解だったのでしょう。
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