秋田市中央部を流れる旭川。先日の濁り水発生源をさかのぼると、県立秋田北高校がある千秋公園の丘に続く北の丸のふもと。
その対岸=右岸は、県立秋田工業高校がある保戸野金砂町(ほどのかなさまち。過去の記事)。さらに少しさかのぼるとJR奥羽本線の旭川橋梁。
右岸は川の堤防上の河川管理用通路が、歩行者に開放されている(河川管理者の秋田県さんはどうとらえているのか知らないけど)。
上流方向。右奥に太平山。今回は左側の話題
その保戸野八丁と保戸野金砂町の境目付近では、川がいい具合にカーブしていて、上流方向に太平山がきれいに見える。以前何度か写真をアップした。
以前から、ここを通るたびに、気になることがあった。
ここの堤防の外側には、家並み1列をはさんで、金砂神社前の市道が並行している。その家・市道の高さは、川の堤防と同レベルか少し低い。だから、堤防側から敷地へ出入りできる家と傾斜があってできない家とがある。
市道側。左が川で、対岸の家々の奥にある大きいのが北高
堤防から。奥の白いガードレールは上の写真で写っているもの
ところが、とある場所だけ、家がほぼ1軒分すっぽり抜けていて、堤防や道路よりも地面ががくんと低くなっている。
上の写真の道路側の白いガードレールの下はコンクリートで固められた絶壁で、そこそこ深く、水が流れる溝になっている(通常は枯れているようだ)。堤防側は溝だったり土砂が積み上げられたり。
市道をはさんだ川と反対側には、昔、金魚の養殖場があったそうで、その名残りの池が数年前まであった(埋められて宅地化された)。このくぼみはそことつながっていて、旭川に水が流れこむような感じもしなくはない。
そんなわけで、昔からこういう造りだったのか?、使わない土地ならば埋めて整地して堤防と市道を通り抜けられれば便利なのに…、などとたまに考えながら通過する場所であった。
市道側から。対岸の家並みの奥に千秋公園の北の丸
3月2日【7日訂正】3月1日付朝日新聞秋田版(東北各県に掲載?)の「東北細見」に、驚くべき答えが出ていた。ごくご近所ではどうか知らないが、秋田市民でも知る人は少ない話だと思う。
探検家・髙橋大輔氏による「久保田城下・忍者屋敷/秘密の抜け穴? 忍者の影」。
まず、知らなかったというか意識したことがなかったが、秋田藩にも忍者がいた。その忍者屋敷が、保戸野金砂町に2軒あったそうだ。
弘前藩にもいて、2016年に新たな忍者屋敷の存在が確認されたことが話題になっていた。
金砂町の2軒のうち1軒は、今も末裔が住んでいるが、建物や道具は大火で焼失してしまった。もう1軒が、このくぼみの場所にあった可能性があるという。
根拠として「もう1軒の忍者屋敷の庭には久保田城本丸から通じる抜け穴があり、川の対岸から見えないように工夫されていた」という記録が残っているらしい。つまり旭川の底をくぐって、金砂町と千秋公園の上を行き来できた。
ガードレールそばの絶壁部分を指して、新聞では「水道管が通る横穴」と記述があるが、上水道の管が通っているということだろうか。少なくとも堤防と市道からは視認できない。
その深い穴は対岸から見えないし、その横穴の方向からしても、抜け穴の名残りの可能性があるということであった。
市道から
新聞では、上の写真とほぼ同じ向きで、穴の中が見える写真が掲載されているが、ガードレールの中に立ち入って撮影したと思われる。普通の背丈で道路からでは、穴の底は見えない。
Googleマップ航空写真に加筆。左上の赤い線が深い横穴
地理院地図より。左上の赤い★が穴の場所。地形図上では穴の存在は示されていない
お城へ通じる抜け穴があるというのは、各地によくある伝説で、信憑性は疑わしいものも少なくない。ここも、千秋公園側で穴の存在を示す遺構や史料はあるかは知らない。
しかし、ここの場合、距離的に抜け穴を掘るのはできなくはなさそう。上の地形図下の神社の地図記号がある部分が本丸。
しかも、この区間の旭川は江戸時代に付け替えられた人工の川(本来は千秋公園寄りを流れていた)。
川の工事といっしょに抜け穴を作ったとすれば、説得力とリアリティーがあるのでは。
再び堤防から
上の写真手前は、堤防と同レベルで土が平らにされている。こうなったのはつい最近で、数年前まではもっと凸凹して草木が生えていたはず。何か建つのかと思ったが、気配はない。
ここが絶対に忍者屋敷と抜け穴の跡だということではないようだし、このまま残しても意味は薄いかもしれないけど、どうなるんだろう。
見慣れたものでも、知らないことがまだまだあるのだと、今回もまた痛感させられた。
【8日追記】秋田に、1.忍者がいて、2.お城とつながる抜け穴が存在し、しかもそれらが3.自分が知っている場所にあったという三重の驚きであったが、ずっと不思議だった土地の謎がある程度分かったことである程度納得できたのがよかった。
※この土地は私有地だと思われ、さらに転落の危険もあるので、立ち入らないようにお願いします。【6日追記】市道は狭くカーブしているため、車や自転車にも注意してください。
【8月21日追記】いただいたコメントよれば、この場所に、かつてはマンションが建っており、この高低差を利用した地下駐車場があったとのこと。【11月22日追記】国土地理院の過去の空中写真(航空写真)で確認すると、1999年5月にはそのマンションらしき建物(敷地川寄りに建物があり、道路側にはなし)があり、2009年9月には解体されて現状と同じかそれに近い状態になっていた模様。
その対岸=右岸は、県立秋田工業高校がある保戸野金砂町(ほどのかなさまち。過去の記事)。さらに少しさかのぼるとJR奥羽本線の旭川橋梁。
右岸は川の堤防上の河川管理用通路が、歩行者に開放されている(河川管理者の秋田県さんはどうとらえているのか知らないけど)。

その保戸野八丁と保戸野金砂町の境目付近では、川がいい具合にカーブしていて、上流方向に太平山がきれいに見える。以前何度か写真をアップした。
以前から、ここを通るたびに、気になることがあった。
ここの堤防の外側には、家並み1列をはさんで、金砂神社前の市道が並行している。その家・市道の高さは、川の堤防と同レベルか少し低い。だから、堤防側から敷地へ出入りできる家と傾斜があってできない家とがある。


ところが、とある場所だけ、家がほぼ1軒分すっぽり抜けていて、堤防や道路よりも地面ががくんと低くなっている。
上の写真の道路側の白いガードレールの下はコンクリートで固められた絶壁で、そこそこ深く、水が流れる溝になっている(通常は枯れているようだ)。堤防側は溝だったり土砂が積み上げられたり。
市道をはさんだ川と反対側には、昔、金魚の養殖場があったそうで、その名残りの池が数年前まであった(埋められて宅地化された)。このくぼみはそことつながっていて、旭川に水が流れこむような感じもしなくはない。
そんなわけで、昔からこういう造りだったのか?、使わない土地ならば埋めて整地して堤防と市道を通り抜けられれば便利なのに…、などとたまに考えながら通過する場所であった。

探検家・髙橋大輔氏による「久保田城下・忍者屋敷/秘密の抜け穴? 忍者の影」。
まず、知らなかったというか意識したことがなかったが、秋田藩にも忍者がいた。その忍者屋敷が、保戸野金砂町に2軒あったそうだ。
弘前藩にもいて、2016年に新たな忍者屋敷の存在が確認されたことが話題になっていた。
金砂町の2軒のうち1軒は、今も末裔が住んでいるが、建物や道具は大火で焼失してしまった。もう1軒が、このくぼみの場所にあった可能性があるという。
根拠として「もう1軒の忍者屋敷の庭には久保田城本丸から通じる抜け穴があり、川の対岸から見えないように工夫されていた」という記録が残っているらしい。つまり旭川の底をくぐって、金砂町と千秋公園の上を行き来できた。
ガードレールそばの絶壁部分を指して、新聞では「水道管が通る横穴」と記述があるが、上水道の管が通っているということだろうか。少なくとも堤防と市道からは視認できない。
その深い穴は対岸から見えないし、その横穴の方向からしても、抜け穴の名残りの可能性があるということであった。

新聞では、上の写真とほぼ同じ向きで、穴の中が見える写真が掲載されているが、ガードレールの中に立ち入って撮影したと思われる。普通の背丈で道路からでは、穴の底は見えない。


お城へ通じる抜け穴があるというのは、各地によくある伝説で、信憑性は疑わしいものも少なくない。ここも、千秋公園側で穴の存在を示す遺構や史料はあるかは知らない。
しかし、ここの場合、距離的に抜け穴を掘るのはできなくはなさそう。上の地形図下の神社の地図記号がある部分が本丸。
しかも、この区間の旭川は江戸時代に付け替えられた人工の川(本来は千秋公園寄りを流れていた)。
川の工事といっしょに抜け穴を作ったとすれば、説得力とリアリティーがあるのでは。

上の写真手前は、堤防と同レベルで土が平らにされている。こうなったのはつい最近で、数年前まではもっと凸凹して草木が生えていたはず。何か建つのかと思ったが、気配はない。
ここが絶対に忍者屋敷と抜け穴の跡だということではないようだし、このまま残しても意味は薄いかもしれないけど、どうなるんだろう。
見慣れたものでも、知らないことがまだまだあるのだと、今回もまた痛感させられた。
【8日追記】秋田に、1.忍者がいて、2.お城とつながる抜け穴が存在し、しかもそれらが3.自分が知っている場所にあったという三重の驚きであったが、ずっと不思議だった土地の謎がある程度分かったことである程度納得できたのがよかった。
※この土地は私有地だと思われ、さらに転落の危険もあるので、立ち入らないようにお願いします。【6日追記】市道は狭くカーブしているため、車や自転車にも注意してください。
【8月21日追記】いただいたコメントよれば、この場所に、かつてはマンションが建っており、この高低差を利用した地下駐車場があったとのこと。【11月22日追記】国土地理院の過去の空中写真(航空写真)で確認すると、1999年5月にはそのマンションらしき建物(敷地川寄りに建物があり、道路側にはなし)があり、2009年9月には解体されて現状と同じかそれに近い状態になっていた模様。