前回のにっぽん丸の記事を先にご覧ください。
そして晴天となった翌日。「飛鳥Ⅱ」が入港するところを見られそうなので行ってみた。
(ところで、昔はローマ数字(ⅠⅡⅢ…)は、パソコンのOSによって表示されないので、ネット上では使わない方が望ましい「機種依存文字」だったが、今の文字コードでは問題なく使用できるのだそうだ。知らなかった!)
予定によれば、8時に男鹿市の船川港に入港し、13時に船川を出港、15時に秋田市土崎港(つちざきみなと。港の名でなく地名)の秋田港に入港する。
男鹿から土崎、目と鼻の先の航海に2時間もかからなそうだけど、どういう手順なのか見当も付かない。とりあえず14時45分頃に行ってみると…
いるいる!
港内に入って来ていて、止まっているように見えた。炎天下、秋田市民の“ギャラリー”も結構来ている。
タグボート「海王丸」がくっついている
このまままっすぐ進んで接岸するかと思ったが、タグボートの位置からすると、違いそう。などと思っていると…
ぐるーっと旋回し始めた
川幅いっぱいギリギリのような錯覚がするほど大きな船体がみるみる向きを変え、
側面が見えた
180度向きを変え、少し経って今度は
ぐいぐい押されて岸に近づく
この時点で入港予定時刻の15時は過ぎていた。旋回自体はあっという間だが、止まっている時間が長かった。
船首・船尾からそれぞれ、岸の作業員へ細いロープが渡され、それを一生懸命引っ張っている。ロープの先には、太い「係留索」がつながっていた。
よいしょっ!
この係留索がかなり重いようで、目の前では3人の作業員の皆さんが悪戦苦闘していた。もう1人が応援に来て、やっとのことで、
係留
このままでは係留索がたるんでいるので、船側で巻き取ってぴんと張らないといけない。
しゅるしゅる
巻き尺が戻るみたいに、水しぶきを上げながら自動で巻き取られた!
この時点で15時10分頃。船長から「秋田港中島岸壁(←“埠頭”ではなく“岸壁”と言っていた)に右舷着けで到着いたしました。まだ接岸作業中ですのでお待ちください」といった放送が流れていた。
その後、さらに数本の係留索をつなぎ、船員と作業員が挨拶を交わして作業終了。
【9日追記】「ラットガード」はにっぽん丸と異なり、グレー一色の地味なものだった。
タグボートも離れていった
15時15分過ぎだった。思ったより接岸作業って時間がかかるんだ。
昔の青函連絡船は、あっという間に接岸した記憶があるが、連絡船は飛鳥Ⅱより小さな船(といっても大きいけど)だし、いつも同じ場所に同じ船が同じ職員によって接岸していたのだから、比較にはならないのかもしれない。
入港に関して疑問に感じた点があったので、調べてみた。(ネットでの聞きかじりですので、間違い等あれば教えてください)
・タグボートが船尾付近に1隻しかいないのに、真横に移動して接岸できたのはなぜ?
今の大きな船は、船首に「バウスラスター」という、横方向に進めるスクリューみたいなのがあって、ある程度は自力で旋回できるらしい。
自分の力で動けない後部だけをタグボートに押してもらっていたようだ。
バウスラスターは、青函連絡船で最後まで就航していた船たち(保存されている摩周丸・八甲田丸・羊蹄丸など「津軽丸型」というタイプ)にも付いてたとのこと。
・にっぽん丸と逆向きに接岸したのはなぜ?
大昔の船は右舷に舵があり、それが邪魔になるので、必ず反対側の左舷を接岸していたという。
現在の船はどちらからも接岸できるようになったが慣例的に左舷で接岸することが多く(特殊用途船など例外あり)、飛行機にも受け継がれているようだ。
今回はその原則通りでなかったわけだが、調べてみると、「飛鳥Ⅱ」は他の港でも右舷で接岸する場合が多いのだという。
その理由を「船長が右舷接岸が好きだから」としていたサイトもあった。飛鳥Ⅱは2人の船長が交代で乗船するそうで、今回の航海がその方だったのかは不明だが。
素人考えだが、もしかしたら、めったに入港しない秋田港だけに、その大きさゆえの制約とか、出港時の作業のしやすさといった事情もあるのかもしれない。
う~む。船の世界も奥が深い!
飛鳥Ⅱ
総トン数50142トン、全長240.8メートル、全幅29.6メートルで日本最大の客船。
平成初期にデビューし、国内に豪華客船の存在を知らしめた「飛鳥」の後継船。1990年就航の外国籍船(ただし日本郵船系列の企業が運航していた)を改装し、2006年から飛鳥Ⅱとして就航している。
比較対象物がないので、大きさはにっぽん丸とそんなに違わない気がした(実際には70メートル以上長い)が、高さが圧倒的でビルのよう。直射日光が照りつけていたが、船の大きな影に入ると海風が心地いい。
青空に白い船体が映える
船首には日本郵船の英名「NIPPON YUSEN KAISHA」の略、「NYK LINE」のマークがある。
セリオンと一緒に正面から撮影できる向きなので、いろんなアングルで撮影したところだが、入港と前後して大量の貸切バスがやって来て、それどころじゃない。
JRバス東北と秋田県内の貸切専業バス会社数社のバス、20台くらいはあったのではないだろうか。
乗客を乗せてきたバスもあったが、朝に船川を発った男鹿半島観光のオプションツアーのようだった。空のバスは竿燈会場への輸送用だと思われる。
「竿燈まつり会場への移動のご案内は17時30分から、夕食は16時からご用意いたしております」という放送が流れ、稲庭うどん屋さんの車が乗り付けて船に積み込んだりしていた。
ちなみに、飛鳥Ⅱでのクルーズ中の食事やお菓子は、原則すべて無料なのだそうだ。すごい!
この日も、前日同様、テント2張ほどで、秋田の物産品の販売と宅配受付が行われていた。到着後すぐということで、多くの乗客が店を覗いていた。
売っているものは秋田の酒が多く、あとは「土崎のフグ」(生魚じゃないだろうけど?)、佃煮、「つちざき」と書かれたTシャツ、あきたこまちの米などのようだ。
遠くから見ただけなのでほかにもあるとは思うが、商品構成に偏りがある感じ。
店側の都合、船側の都合もあるのだろうが、船のお客さんたちは経済的に余裕のある方々だと思われる。もっといろいろ持ってきて、積極的に売り込めば買ってくれるんじゃないだろうか。
例えば、工芸品(漆器や杉製品、銀線細工など)、農産加工品(ジュースとか)、各種お菓子、秋の果物やきりたんぽセットの予約受付とか、売れそうなものはまだまだあると思うのだが…
あとは、庶民的だがババヘラアイスを連れてきたって売れそうだし(船内には無料のアイスクリーム・バーがあるそうだけど)、歩いて行かれるセリオンへご案内するといったこともできそう。
我が国の3大豪華客船が次々にやってくるのだから、気持ちよくお迎えし、気持ちよく帰っていただけるようにしないとね。

今まであまり関心がなかったが、船にも興味が出てきた。
今月末から来月にかけ、飛鳥Ⅱが地元新聞社主催旅行のチャーターで再び入港、さらに南極観測船「しらせ」も入港する予定。
【9月4日追記】魁新報主催の飛鳥Ⅱによるウラジオストクツアーが開催された。8月31日出発、9月3日帰着。
僕は見に行かなかったが、出発時の見送り・見学は、セリオンで手続きした人だけが船に近づけた(事前に新聞紙面に記載あり)。海外航路のため取られた措置らしい(密航の防止かな)。
紙面の写真で見ると、31日の出港時はやはり右舷を接岸していたが、ウラジオストク港では左舷を接岸していたようだ。
また、台風から変わった熱帯低気圧の影響で、3日の到着が4時間ほど遅れたとのこと。
【9月9日追記】ウラジオストクツアーの際は、中島岸壁でなく、別の「外港」という場所に接岸したらしい。
そして晴天となった翌日。「飛鳥Ⅱ」が入港するところを見られそうなので行ってみた。
(ところで、昔はローマ数字(ⅠⅡⅢ…)は、パソコンのOSによって表示されないので、ネット上では使わない方が望ましい「機種依存文字」だったが、今の文字コードでは問題なく使用できるのだそうだ。知らなかった!)
予定によれば、8時に男鹿市の船川港に入港し、13時に船川を出港、15時に秋田市土崎港(つちざきみなと。港の名でなく地名)の秋田港に入港する。
男鹿から土崎、目と鼻の先の航海に2時間もかからなそうだけど、どういう手順なのか見当も付かない。とりあえず14時45分頃に行ってみると…

港内に入って来ていて、止まっているように見えた。炎天下、秋田市民の“ギャラリー”も結構来ている。

このまままっすぐ進んで接岸するかと思ったが、タグボートの位置からすると、違いそう。などと思っていると…

川幅いっぱいギリギリのような錯覚がするほど大きな船体がみるみる向きを変え、

180度向きを変え、少し経って今度は

この時点で入港予定時刻の15時は過ぎていた。旋回自体はあっという間だが、止まっている時間が長かった。
船首・船尾からそれぞれ、岸の作業員へ細いロープが渡され、それを一生懸命引っ張っている。ロープの先には、太い「係留索」がつながっていた。

この係留索がかなり重いようで、目の前では3人の作業員の皆さんが悪戦苦闘していた。もう1人が応援に来て、やっとのことで、

このままでは係留索がたるんでいるので、船側で巻き取ってぴんと張らないといけない。

巻き尺が戻るみたいに、水しぶきを上げながら自動で巻き取られた!
この時点で15時10分頃。船長から「秋田港中島岸壁(←“埠頭”ではなく“岸壁”と言っていた)に右舷着けで到着いたしました。まだ接岸作業中ですのでお待ちください」といった放送が流れていた。
その後、さらに数本の係留索をつなぎ、船員と作業員が挨拶を交わして作業終了。
【9日追記】「ラットガード」はにっぽん丸と異なり、グレー一色の地味なものだった。

15時15分過ぎだった。思ったより接岸作業って時間がかかるんだ。
昔の青函連絡船は、あっという間に接岸した記憶があるが、連絡船は飛鳥Ⅱより小さな船(といっても大きいけど)だし、いつも同じ場所に同じ船が同じ職員によって接岸していたのだから、比較にはならないのかもしれない。
入港に関して疑問に感じた点があったので、調べてみた。(ネットでの聞きかじりですので、間違い等あれば教えてください)
・タグボートが船尾付近に1隻しかいないのに、真横に移動して接岸できたのはなぜ?
今の大きな船は、船首に「バウスラスター」という、横方向に進めるスクリューみたいなのがあって、ある程度は自力で旋回できるらしい。
自分の力で動けない後部だけをタグボートに押してもらっていたようだ。
バウスラスターは、青函連絡船で最後まで就航していた船たち(保存されている摩周丸・八甲田丸・羊蹄丸など「津軽丸型」というタイプ)にも付いてたとのこと。
・にっぽん丸と逆向きに接岸したのはなぜ?
大昔の船は右舷に舵があり、それが邪魔になるので、必ず反対側の左舷を接岸していたという。
現在の船はどちらからも接岸できるようになったが慣例的に左舷で接岸することが多く(特殊用途船など例外あり)、飛行機にも受け継がれているようだ。
今回はその原則通りでなかったわけだが、調べてみると、「飛鳥Ⅱ」は他の港でも右舷で接岸する場合が多いのだという。
その理由を「船長が右舷接岸が好きだから」としていたサイトもあった。飛鳥Ⅱは2人の船長が交代で乗船するそうで、今回の航海がその方だったのかは不明だが。
素人考えだが、もしかしたら、めったに入港しない秋田港だけに、その大きさゆえの制約とか、出港時の作業のしやすさといった事情もあるのかもしれない。
う~む。船の世界も奥が深い!

総トン数50142トン、全長240.8メートル、全幅29.6メートルで日本最大の客船。
平成初期にデビューし、国内に豪華客船の存在を知らしめた「飛鳥」の後継船。1990年就航の外国籍船(ただし日本郵船系列の企業が運航していた)を改装し、2006年から飛鳥Ⅱとして就航している。
比較対象物がないので、大きさはにっぽん丸とそんなに違わない気がした(実際には70メートル以上長い)が、高さが圧倒的でビルのよう。直射日光が照りつけていたが、船の大きな影に入ると海風が心地いい。

船首には日本郵船の英名「NIPPON YUSEN KAISHA」の略、「NYK LINE」のマークがある。
セリオンと一緒に正面から撮影できる向きなので、いろんなアングルで撮影したところだが、入港と前後して大量の貸切バスがやって来て、それどころじゃない。
JRバス東北と秋田県内の貸切専業バス会社数社のバス、20台くらいはあったのではないだろうか。
乗客を乗せてきたバスもあったが、朝に船川を発った男鹿半島観光のオプションツアーのようだった。空のバスは竿燈会場への輸送用だと思われる。
「竿燈まつり会場への移動のご案内は17時30分から、夕食は16時からご用意いたしております」という放送が流れ、稲庭うどん屋さんの車が乗り付けて船に積み込んだりしていた。
ちなみに、飛鳥Ⅱでのクルーズ中の食事やお菓子は、原則すべて無料なのだそうだ。すごい!
この日も、前日同様、テント2張ほどで、秋田の物産品の販売と宅配受付が行われていた。到着後すぐということで、多くの乗客が店を覗いていた。
売っているものは秋田の酒が多く、あとは「土崎のフグ」(生魚じゃないだろうけど?)、佃煮、「つちざき」と書かれたTシャツ、あきたこまちの米などのようだ。
遠くから見ただけなのでほかにもあるとは思うが、商品構成に偏りがある感じ。
店側の都合、船側の都合もあるのだろうが、船のお客さんたちは経済的に余裕のある方々だと思われる。もっといろいろ持ってきて、積極的に売り込めば買ってくれるんじゃないだろうか。
例えば、工芸品(漆器や杉製品、銀線細工など)、農産加工品(ジュースとか)、各種お菓子、秋の果物やきりたんぽセットの予約受付とか、売れそうなものはまだまだあると思うのだが…
あとは、庶民的だがババヘラアイスを連れてきたって売れそうだし(船内には無料のアイスクリーム・バーがあるそうだけど)、歩いて行かれるセリオンへご案内するといったこともできそう。
我が国の3大豪華客船が次々にやってくるのだから、気持ちよくお迎えし、気持ちよく帰っていただけるようにしないとね。

今まであまり関心がなかったが、船にも興味が出てきた。
今月末から来月にかけ、飛鳥Ⅱが地元新聞社主催旅行のチャーターで再び入港、さらに南極観測船「しらせ」も入港する予定。
【9月4日追記】魁新報主催の飛鳥Ⅱによるウラジオストクツアーが開催された。8月31日出発、9月3日帰着。
僕は見に行かなかったが、出発時の見送り・見学は、セリオンで手続きした人だけが船に近づけた(事前に新聞紙面に記載あり)。海外航路のため取られた措置らしい(密航の防止かな)。
紙面の写真で見ると、31日の出港時はやはり右舷を接岸していたが、ウラジオストク港では左舷を接岸していたようだ。
また、台風から変わった熱帯低気圧の影響で、3日の到着が4時間ほど遅れたとのこと。
【9月9日追記】ウラジオストクツアーの際は、中島岸壁でなく、別の「外港」という場所に接岸したらしい。