聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




申命記 11:1 あなたは、あなたの神、主を愛し、その命令、掟、法および戒めを常に守りなさい。
11:2 あなたたちは、あなたたちの神、主の訓練を知ることも見ることもない子孫とは違うことを、今日知らねばならない。その大いなる御業、強い御手と伸ばされた御腕、
11:3 エジプトの中でエジプトの王ファラオとその全土に対してなさったしるしと御業、
11:4 エジプト軍、その馬と戦車に対してなさったこと、すなわち彼らがあなたたちを追撃して来たとき、主が彼らの上に葦の海の水を溢れさせて滅ぼし、今日に至っていること、
11:5 あなたたちがここに来るまで主が荒れ野でなさったこと、
11:6 また、ルベンの孫で、エリアブの子であるダタンとアビラムになさったこと、すなわち、大地が口を開けて、彼らとその家、その天幕、および全イスラエルの中で彼らと行を共にした者を皆、呑み込んだことなど、
11:7 主のなさった大いなる御業をすべて、あなたたちは自分の目で見てきた。
11:8 あなたたちは、わたしが今日命じるすべての戒めを守りなさい。こうして、あなたたちは勇ましくなり、川を渡って、得ようとしている土地に首尾よく入り、それを得ることができる。
11:9 こうして、主があなたたちの先祖に、彼らとその子孫に与えると誓われた土地、すなわち乳と蜜の流れる土地で、あなたたちは長く生きることができる。
11:10 あなたが入って行って得ようとしている土地は、あなたたちが出て来たエジプトの土地とは違う。そこでは種を蒔くと、野菜畑のように、自分の足で水をやる必要があった。
11:11 あなたたちが渡って行って得ようとする土地は、山も谷もある土地で、天から降る雨で潤されている。
11:12 それは、あなたの神、主が御心にかけ、あなたの神、主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる土地である。

出エジプトの出来事は、経験したものでしかわからに特別な体験である。
いくら子孫にそのことを語り伝えようとしても、完全には伝わらない面もある。
それでも、出エジプトの出来事がなければ、子孫も生まれることはなかったわけであるし、そういう意味では、しっかりと語り伝えていく必要がある。
子孫にとっては、語られる言葉に対して受け取って行くという態度が必要であろう。

実に、信仰とは、そういうものなのかもしれない。
出エジプトの出来事による救いは、特別な体験であり、言葉だけで伝えることは難しい。
けれど、伝えなければならないし、子孫にとっては、それを拒絶することは自分の存在を否定することになる。
「父と母を敬え」との戒めは、そもそも、自分自身の存在を受け入れよ、との意図があっての戒めなのだろう。
父と母を呪ったところで、何の良きものも得られないし、親の愛を受けて、今の自分がいるということを覚えるべきであろう。
そして、その大元には、常に父なる神の愛がある。
親の愛情は、あくまで神の愛の一つの具体的な形であると言えるのだろう。
親は子にに対して、ああしろとかこうしろと言うのではなく、あなたがどこにいても愛しているよということを伝えることが大切なのだろうと思う。

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