聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




ヨシュア記 10:1 エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを占領し、滅ぼし尽くし、アイの町とその王をも、先のエリコとその王と同じように取り扱ったことを聞き、またギブオンの住民がイスラエルと和を結び、彼らのうちに住むことを許されたと聞くと、
10:2 非常に恐れた。ギブオンはアイよりも大きく、王をいただく都市ほどの大きな町であり、その上、そこの男たちは皆、勇士だったからである。
10:3 エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヘブロンの王ホハム、ヤルムトの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビルに人を遣わし、
10:4 「わたしのもとに上り、ギブオンを撃つのを助けていただきたい。彼らはヨシュアの率いるイスラエルの人々と和を結んだ」と伝えた。
10:5 アモリ人の五人の王、すなわちエルサレム、ヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロンの王たちとその全軍勢は連合して攻め上り、ギブオンに向かって陣を敷き、戦いを仕掛けた。
10:6 ギブオンの人々はギルガルの陣営にいるヨシュアに人を遣わして、こう告げた。「あなたの僕から手を引かず、早く上って来て、わたしたちを救い、助けてください。山地に住むアモリ人のすべての王たちがわたしたちに向かって集結しています。」
10:7 ヨシュアは兵士全員、すべての勇士を率いてギルガルから出陣した。
10:8 主はヨシュアに言われた。「彼らを恐れてはならない。わたしは既に彼らをあなたの手に渡した。あなたの行く手に立ちはだかる者は一人もいない。」
10:9 ヨシュアはギルガルから夜通し軍を進め、彼らを急襲した。
10:10 主はイスラエルの前で彼らを混乱に陥れられたので、ヨシュアはギブオンで敵に大打撃を与え、更に彼らを追ってベト・ホロンの坂道を登り、アゼカ、マケダまで彼らを追撃した。
10:11 彼らがイスラエルの前から敗走し、ベト・ホロンの下り坂にさしかかったとき、主は天から大石を降らせた。それはアゼカまで続いたので、雹に打たれて死んだ者はイスラエルの人々が剣で殺した者よりも多かった。
10:12 主がアモリ人をイスラエルの人々に渡された日、ヨシュアはイスラエルの人々の見ている前で主をたたえて言った。「日よとどまれギブオンの上に 月よとどまれアヤロンの谷に。」
10:13 日はとどまり 月は動きをやめた 民が敵を打ち破るまで。『ヤシャルの書』にこう記されているように、日はまる一日、中天にとどまり、急いで傾こうとしなかった。
10:14 主がこの日のように人の訴えを聞き届けられたことは、後にも先にもなかった。主はイスラエルのために戦われたのである。

詩篇 65:1  指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。歌。
65:2 沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。シオンにいます神よ。あなたに満願の献げ物をささげます。
65:3 祈りを聞いてくださる神よ すべて肉なるものはあなたのもとに来ます。
65:4 罪の数々がわたしを圧倒します。背いたわたしたちを あなたは贖ってくださいます。
65:5 いかに幸いなことでしょう あなたに選ばれ、近づけられ あなたの庭に宿る人は。恵みの溢れるあなたの家、聖なる神殿によって わたしたちが満ち足りますように。
65:6 わたしたちの救いの神よ あなたの恐るべき御業が わたしたちへのふさわしい答えでありますように。遠い海、地の果てに至るまで すべてのものがあなたに依り頼みます。
65:7 御力をもって山々を固く据え 雄々しさを身に帯びておられる方。
65:8 大海のどよめき、波のどよめき 諸国の民の騒ぎを鎮める方。
65:9 お与えになる多くのしるしを見て 地の果てに住む民は畏れ敬い 朝と夕べの出で立つところには 喜びの歌が響きます。
65:10 あなたは地に臨んで水を与え 豊かさを加えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。あなたがそのように地を備え
65:11 畝を潤し、土をならし 豊かな雨を注いで柔らかにし 芽生えたものを祝福してくださるからです。
65:12 あなたは豊作の年を冠として地に授けられます。あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。
65:13 荒れ野の原にも滴り どの丘も喜びを帯とし
65:14 牧場は羊の群れに装われ 谷は麦に覆われています。ものみな歌い、喜びの叫びをあげています。

マルコ 6:45 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。
6:46 群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。
6:47 夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。
6:48 ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。
6:49 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。
6:50 皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
6:51 イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。
6:52 パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。


詩篇65篇の冒頭には

 沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。シオンにいます神よ。あなたに満願の献げ物をささげます。
祈りを聞いてくださる神よ すべて肉なるものはあなたのもとに来ます。

と記されている。
よく考えれば、不思議な言葉である。
沈黙しているのに、賛美をささげ、神に祈っているというのである。
静かに口を閉ざして祈るのならまだわかるが、沈黙して賛美するとはどういうことであろう。
ただ、やみくもに声をあげて賛美の歌を歌えばいいというわけでもなく、静かに過ごしていても、それによって神をほめたたえることもある、ということなのだろう。
実際、神に創られた山々や草花などは、声をあげることはなくても、その存在自体で神をたたえている。

遠い海、地の果てに至るまで すべてのものがあなたに依り頼み、
御力をもって山々を固く据え 雄々しさを身に帯び
大海のどよめき、波のどよめき 諸国の民の騒ぎを鎮め
お与えになる多くのしるしを見て 地の果てに住む民は畏れ敬い 朝と夕べの出で立つところには 喜びの歌が響く
地に臨んで水を与え 豊かさを加え
神の水路は水をたたえ、地は穀物を備える
主なる神がそのように地を備え
畝を潤し、土をならし 豊かな雨を注いで柔らかにし 芽生えたものを祝福してくださるから
豊作の年を冠として地に授け、神が過ぎ行かれる跡には油が滴たる
荒れ野の原にも滴り どの丘も喜びを帯とし
牧場は羊の群れに装われ 谷は麦に覆われ、ものみな歌い、喜びの叫びをあげる

私もこの世界に生きるものの一人として、そういうものでありたい。
派手さは無くても、自分に与えられた使命を喜び、自分にできることを淡々とこなし、自分にしかできないことをこなしていく。
それで十分。
そうすることで、きっと沈黙していても神を賛美していることになるのだろうから。



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