7/2旅人 

山と旅が好きです。

江川太郎左衛門 坦庵

2014年07月20日 | 

 7/18は健康診断だった。一番に順番を取り健診のあらゆるブースを駆け抜けその後は、

旅に出たのだ。

行く先は伊豆、せっかくなので遠出の山行も考えていたのだが天気がいまいちだ、

そして月曜日は祝日だが僕は仕事だ。

予定は全く立てていない、

とりあえず伊豆箱根鉄道の乗り放題切符、「旅助け」、を購入。絵馬のような、通行手形みたいな、ちょっと素敵な切符だ^ー^

修善寺まで行ってそれから考えて見ればいいさ。

駅に着いて観光案内へ っと しかし観光案内所は工事中で閉鎖していた。

 

ふ、あてが外れた・・・・・・・・・・・・・・う^ーーん。それでは何処に行こう??

そうだ、僕の好きな江川太郎左衛門 坦庵さん、縁の地、韮山にでも行きますか。

 

江川太郎左衛門 坦庵、現在の神奈川、埼玉、静岡、群馬、伊豆、幕末期には山梨県地方まで、とても広い区域を管轄統治していた。

二宮尊徳を招いて農地改良や種痘を接種したり、とっても領民思いで、領民からも慕われていたようだ。

 

修善寺から伊豆箱根鉄道に乗り伊豆長岡で降りる。そこから韮山反射炉へ向かった。

 さてさて,時は幕末ペリーは来航するは、外国船はそこいらじゅうの浜に上陸するは、海防は早急、必須な問題だった。

それには、武器がいる、鉄砲、大砲などを作るための溶解炉、韮山反射炉を作る。

 そして、農兵制度や兵隊の行動食、昔は干飯などだったが、消化に悪くお腹を壊す事が多かったそうだ。

外国の軍隊では日持ちも良く消化よく、携帯に便利なパン食べていた。坦庵は高島秋帆からパンの製造を学び、パンの祖と呼ばれている。

ま、乾パンだけど。

左は、カノンパン、大砲のことをCanon砲 加農砲に似せたパン食べやすくしてあります。右は当時の製法をそのままに製造したパン祖のパン、これが、また硬いなんてもんじゃない。一度、挑戦してかぶりついてみれ、歯の丈夫な人向け。

 

 韮山反射炉をあとに、今度は江川邸へ

電車に戻るのも面倒くせい、歩いて行ってしまえ。(何のために、乗り放題切符、旅助けを買ったのだ。 orz)

韮山中学を過ぎ韮山城址へ

 江川邸のちょっと手前にある、城池

 そして、江川邸に到着

 とても、古い建物でドラマや映画のロケ地としても使われている。

さて、江川太郎左衛門、坦庵、広い領地を治め、海防、民事、パンまで作っちゃた坦庵さんだが、僕の大好きなエピソードがある。

自分の家臣の娘がお嫁に行くとき、女性として、妻として心得て置くべき事を箇条書きで書き与えたものが展示してある。まあこの頃の時代の話であるので今とは少し違うけど大事な事が結構書いてある。

まあ、この娘さんとよほど子供頃から可愛がっていた娘さんのためを思って書いて送ったのだと思っていた。

しかし、今回、江川邸の案内解説をしているお姉さんから興味深い話を伺った。

この縁談先の旦那さんが気難しい人だったので、心配して書き送ったそうだ。

坦庵さんて、本当にいろいろな事に、気が回ったんだね。

 

 

江川邸、これ以外にもいろいろ、見どころ満載、伊豆にお立ち寄りの際は是非、行ってみてください。

 

 

7/18 2014