7/2旅人 

山と旅が好きです。

五円玉

2021年10月01日 | 独り言

今は昔

年末年始の日記に書いたが、牧場の仕事を終え。

僕は最北端、利尻島、礼文島へ旅立った・・・

そしてまた南下、お気に入りの大雪山黒岳へ!

紅葉と新雪の大雪山を見て、また感動した。

家を出てから、はや4ヶ月そろそろ里心が 帰りは小樽から敦賀へフェリーに乗った。

もう持ち金は殆ど無い・・・ 船の切符を買うとお金は、どんどん減っていった。

夜 敦賀に着いた 腹ペコのまま、敦賀の駅まで歩いた。

普通乗車券を静岡まで買うと。 持ち金は、五円玉一つ あ~あ~~

敦賀からの終電に間に合った。

南へ、そして西へ、静岡に近づくのだ。

時刻表も見ずに乗り込んだ。

腹がへった_| ̄|○ もう寝るしかないな。

電車は誰も乗っていない 旅も終わりか 

腹減ったなあ 腹ペコで眠れない はらへった はらへった 

こころのなかで呟く、なんか楽しくなってきた。

そして、まだ二十歳そこそこの僕は涙がでてきた。(T_T) なんだかなぁ~

長椅子の椅子でぼんやり誰もいない車内を見ていると網棚になにかあるのを見つけた!

うん、なんだろう、忘れ物?? 手に取ると、寿司折りだった・・・・

もう誰もいない電車、酔っぱらいが忘れていったものだろう

魚の形の醤油差しをかけるのも、もどかしく 寿司折りを食べた。

食べた 食べた 美味しかった^ー^

そして、次の日 午後五円玉一つポケットに残し家に帰った・・・・

 


尚歯会

2021年08月04日 | 独り言

尚歯会とは?尚歯・・・(歯を大切に)する会。

これは、表向き、語学、医学、政治、海防などを議論した頭脳集団だった。

メンバーは高野長英、小関三英、川路聖謨、江川英龍 etc。 

 

その中で、渡辺崋山(登)のお話。

日本でも有数の貧乏藩、田原藩1万二千石の家老の長男に生まれた。

8人兄弟、あまりの貧乏のため一家は離散状態 その責任を幼少の頃から受け止め、苦労を苦労としておもわずに頑張ってきた人だ。

渡辺登、貧乏だけど絵が上手かった それがきっかけでその頃の江戸南画界の最高峰谷文晁の弟子となる その後、絵で少しは生活に潤いが訪れた。

彼は勉強家で時代を憂い、長崎留学を試みるが(この頃シーボルトが来ていた)、 しかし親族また藩の親戚から止められ断念した。

絵で稼いだ金は、自分の家を潤わせ、お酒を飲むことを覚えた。

尚歯会と親交を持つ、この頃、海防論を述べた慎機論を書く。

時の幕府の批判と、とられ保守派の中心人物、鳥居耀蔵らにより。

高野長英は投獄。 渡辺は蟄居させられる。

謹慎生活の困窮から絵を売っていた事が幕府にもれ。

そして藩に迷惑がかかることを恐れ切腹する。・・・うう(T_T)

渡辺崋山の絵はもちろんどれも素晴らしいのだが 僕は普段の生活を切り取った風俗的なスケッチが好きだ 。

渡辺は普段からのまめな観察眼から 庶民の暮らし風俗などを書き留めている。

作品になんともいえぬ暖かさに満ちている^ー^

そして僕が思うのは、渡辺登の生涯は、もうちょっと先であれば きっと、

もう一つ花が咲いたと 思うんだ、きっと・・・


PL107

2021年06月04日 | 独り言

極地 世界最高峰エベレスト 世界で一番高い第三の極地だ。 そして天体としての極地は、北極と南極だ。

登山家達はエベレスト 第三の極地を踏むと。 次は天体としての極地を目指す。

植村直己、ラインホルト・メスナーしかり。

日本は1957年。南極観測隊が船で向かった。

宗谷PL107 1938年進水した老朽船だった。

国際地球観測年に合わせ南極観測船として改造。戦争後国を上げてのプロジェクトになった。

隊員は殆どは登山家が選ばれた。 やっぱり、極地には(過酷な所には、山屋か^ー^)

民間企業もその技術を惜しまず、協力した。

発電機オイルが凍らない工夫した、風力発電機 本田宗一郎(HONDA)

寒さの中バッテリーの持ちがいい小型受信機 井深大、盛田昭夫(SONY)

すべて、無償だった。

南極観測隊において頭を悩ませたのは住居だった。命に係る住居、マイナス50度に耐えうる住まい・・・・

そして東京タワーを作った竹中工務店が選ばれた。

極寒の地では鉄などは使えなかった。

まして素人の南極観測隊員が柱を設置する技術はなかった。

そこで考え出されたのが壁パネルを組み合日本古来の木組を組み合わせた組み立て式の建物。

プレハブ住宅だった。

南極観測隊に物資を提供した会社1000社を超えた。

 

 

この南極観測船宗谷、特務艦、灯台補給船、南極観測船、巡視船宗谷として活躍した。1978年退役。 船の科学館に保存された。・・・


ドッペルゲンガー

2021年05月04日 | 独り言

世の中には自分とそっくりな人が存在するという。

怖いのは 何故か、その相手は自分のことを知っているという事だ・・・

今は昔

僕は東北の山々を彷徨していた。

食料も尽き、疲れ果て日本海沿いの駅にたどりついた。

駅に置いてあった姿見の鏡には一人の浮浪者が写っていた。

何週間も歩いていたので髪は伸び放題、髭もじゃの凄まじい姿だった。

一人のオッチャンが僕を見て話しかけてきた。

「あれれ~山いつ降りてきたの~」

「今さっきですけど。」

「作次郎とこのババは達者かな?」

「はあ?よく解らないんだけど。」

「なにい、気取っちゃってえ、なに街言葉つかってるの?。」 「・・・・・・・・」 「・・・・・・・・」

「あんちゃん上村の太郎兵衛じゃないのけ?」

「いやあ~そっくりだべ・・・・いやあまいった、まいった。」

ふふfふ、どうも上村の太郎兵衛さんが僕とそっくりだったようだ。

太郎兵衛さんは、どんな人物だったのだろう。

しかし太郎兵衛さんは、髪ボーボー、髭もじゃもじゃなのか?^ー^

でも、遭わないで良かった。

ドッペルゲンガーと本人が遭遇すると死を呼ぶそうだから。


2021年04月16日 | 独り言

僕は声が小さいと思っていた。

おだっくい

静岡の方言かな、おだてに乗りやすい、ひょうきん そんな意味か。

 

小学校の遠足、今は知らないが、バスガイドのおねえさん、オバハンがいて。 目的地の由来の歌なんぞを歌っていた。

そして、席を半分に分けて、しりとり歌合戦なんかやったりして。

(おだっくい)の僕はマイクを握りしめ先頭になり歌っていた。

僕の叔母はスナックをやっていた。 時々遊びに行きカラオケをやったりした。 酔っ払った客が、まだガキンチョの僕を囃し立て、お兄ちゃんは声が良いね!なんて言ってくれた。

そう、

そうなの、声が良いの・・・・

なんか、それから声がだんだんデカくなった気がする。

グレートトラバース3、田中陽希君のファンだ。

純真でいい人だと思う。

いつも、登山口で彼は言う 「よろしくおねがいしますう!」

始めてみた時、感動した! 忘れていたな・・・・

とっても綺麗な白ニャンコ。 なによ、何見てんのよ!
まさか、アタシを拉致しようと・・・
 
 
いやいや、そんな事しないよ^ー^