7/2旅人 

山と旅が好きです。

床屋

2021年01月28日 | 独り言

現職を辞して、在宅ワークに変わった。

現職を辞める時に決めていた事があった。スキンヘッドにすることだ。

現職は人と逢う機会が多かったので、最低限の身なりを整えた。

 

一ヶ月おき位に床屋に行った。 子供の頃から行っていた床屋だ。

ある日その床屋に行って散髪を・・・

隣に一人、オッサンがいた。 僕は、いつもと同じにしてと言った。

そしてもう一人のお客さんが入ってきた。 ほとんど毛は無い・・・ 耳の上と、うなじに少し毛が生えていた。

すると、となりのオッサンが。

おー よっちゃんかあ、

おメエその頭でなにしにきたの~ まさか、ちょっとすいてくれ、なんて言わねえだろうな!

やめろー嫌がらせは。。。。はははっっは・・・

よっちゃんは、激怒した。

う、うるせえ~~~ と僕に、掛けられた白い布を、僕に被せ出ていってしまった。

三秒後、床屋にいた全員は大笑い。 床屋の大将は笑いながら・・・ 今はのは、まずいっしょ、あ~ハハッは。

しかし・・・・これで良かったのだろうか??

まあ、なにはともあれ、二年前僕はその床屋に行った。 スキンヘッドにした。

そしてメリット、デメリット。

メリットは 何時でも何処でも、水道で頭を洗える。 ドライヤーはいらない。

デメリット 熱い、寒い、中途半端に生えているとTシャツが脱げない。

二日、三日おきに剃らないと、みっともない。 かえって、手入れが大変なのだ。

で、今三日おきに頭を剃っている。

 


学ぶ

2021年01月20日 | 独り言

今は昔 1904年日露戦争、開戦。

ロシア南下の驚異からの防衛戦争だったと、僕は思っている。

この戦いは、小兵と巨人との喧嘩で勝ち目はなかった。

今信玄と呼ばれた天才戦略家、田村怡与造は作戦戦略の難しさに過労のため亡くなってしまった。

何故、ロシアに勝利したのか?いや、如何に五分の戦いができたのか。

それは、前哨戦ともいえる日清戦争で学んだ事を活かし。

官民一体となり努力したのだ。

政治家達も金融機関も国民も・・・ 日本人の気質ともいえる勤勉さと従順さ。

初めて国家というものを手にした国の総力戦だったからではないかと思う。

 

経験値、RPGドラクエなどではモンスターと戦い経験値が上がりレベルアップしていく。

ザコキャラは経験値は低く、たくさん倒してもなかなか、レベルアップしない。

そう、強い相手難しいボスキャラと戦わなければ大きな経験値とならないのだ。

何度も負けて、挑戦し弱点を見極め、学ぶのだ・・・・

 

なんとかコロナに打ち勝ってほしいと思うのだが、自戒をこめて。

 

 

日本海海戦、ロシアは戦闘が始まるとボロボロの汚い戦闘服に着替える。

日本連合艦隊は新品消毒済みの戦闘服に。

入浴を命じ、そして艦内のすべてを消毒した。 外傷による化膿を防ぐためだ。

 

 

でっかい大砲。 運ぶのも大変そうだ。

ロシアは鉄道を使い、どんどん兵隊を運んでいった。

当時、トラックや輸送機無かったので、鉄道は輸送の手段として敷かれた。

日本でも鉄道輸送を重視、各地に鉄道を敷いた。

そしてこの戦争では、広島が重要な基地となった。

 

ヒッチハイク

2021年01月19日 | 独り言

 

 

今は昔

僕は旅をしていた。

最初は勇気がいったがヒッチハイクをして、よく乗せてもらった。

ヒッチハイク、日本の場合左側通行なので行きたい方向の左側に立つ。

そして、親指をたてる、自分の姿見えるところで。

静岡の安倍奥の山に行くと帰りはヒッチハイクで帰った一本道だしね^ー^

 

東北は秋田だった、鳥海山を登りバス路線の無い道を郷までテクテク歩いていた。

突然一台の車が止まった。 乗っていくかい? はい、ありがとうございます。

何処から? 静岡です 旅をしているの? はい、 そしてしばらくの沈黙・・・

私も旅をして、たくさんの人に乗せてもらったんだよ。

そしてある時こう言われた。

車を降りたらもう二度と多分遭わないだろう、お礼はいらない。 でも、君も誰かが困っていたら人が通らないような道で人に遭ったら声をかけてよ。

う、解りました。

それから、ヒッチハイクを見ると、バス路線の無いような道を歩いている人を見かけると、声をかけるようにようになった。

 

僕を乗せてくれた方、声をかけてくれた方、ありがとうございましたm(_ _)m

 


尉鶲

2021年01月18日 | 近郊の山

近所で、いつも見かける。 銀色の帽子を被った、粋なお兄さん^ー^

尉鶲(ジョウビタキ)は、チベットから中国東北部あるいはロシア南東部で繁殖して。

非繁殖期になると片道2000キロメートルにも及ぶ距離を飛ぶそうな。

そして、日本などに渡って来て越冬する。 毎年同じ場所に帰って来るらしい。

 


今日

2021年01月17日 | 独り言

 

今は昔 僕は大阪にいた。

そこは大阪市の使用していない清掃局の詰め所だった。

備品はなにもないロッカーだけは残っていた。

ロッカー室に銀マットを敷いてそこが寝室だった。

夜昼を問わず、余震がロッカーをガタガタ動かした。

思ったのは、余震でロッカーの下敷になるのは御免だった。

僕らが担当したのは西宮だった。

そこは大火事の跡、経験した事はないが。

もしかしたら空襲があるとこうなるのかと思った。

そんな焼け跡の街だった。 担当したのは避難所のビン・カンを収集する仕事だった。

車は普通のパッカー車、ゴミをプレスして回収していく。

ゴミは圧倒的にガス缶が多かった、しかも穴も開けていない。

パッカー車というのは回収したゴミを押しつぶしプレスする。

そしてタンクに入っていく。

その圧縮、プレス時に金属があると摩擦で火花が・・・・ 収集が終わり、圧縮されたガス缶が爆発、後ろは、炎に包まれた。

そして仮の捨場まで往復二時間かかった。

市街地を抜けるのに電線や瓦礫、柱を退かしたり持ち上げるのが主な仕事になった。

西宮は初めての街、地元の作業員が一人乗って道案内をしてくれた

。 彼は、関西人の気質だろうか、僕に気を使ってだろうか?

いや~ひどいもんでしたわ~ 揺れがおさまって、冷蔵庫を開けたら、皿や食器が入ってましたん。

でな、向かいの食器棚に冷蔵庫の中身がごっそり入ってるやないですか。

地震で、両方の戸が開いて。 入れ替ったんやな~~、

はっはは。 ここツッコむとこですぜ~

すごく笑って、すごく悲しかった。