懐かしい 12年前の記事です。
お時間のある方は ちょっと覗いてみてくださると うれしいです。
「還暦の頃 お遍路に行きたいね」と 夫と話すことがありましたが
わたし自身の病気の後だったり 両親の健康状態が良くない時期が
長く繰り返され なかなか実現できずにいました。
やっと 今年始めることができたのですけど
ちょうど 行きたいと願っている頃に書いた記事です。
ここに出てくる 藤田さんは 職種や部署は違えど
長年 わたしと同じ会社で働いていた方で
息子さんが 30歳で急死したのをきっかけに
お父さんはどこ?と求める小さいお孫さん(2歳)を連れて
休みごとに 最初は小豆島88箇所参りをはじめ
やがて 四国お遍路参りをするようになりました。
小さいお孫さんは お父さんに会えるのを願って
おばあちゃんと何十回も お四国を回り
すでに小学生で先達もするほどに成長し
お遍路さんたちに 大人気でした。
テレビに何度もとりあげられたり ケーブルテレビでは
レギュラー番組もあることは知っていましたが
わたしも 当時は勤めていたし 8人家族で家庭も忙しくて
当時は あまり 詳しくは 知りませんでした。
彼女は 毎日仕事をし 休日には孫とお遍路。
よっくんが小学校へあがれば 彼女は夜間高校にはいり
女子高生にもなりました。
もちろん主婦だし 彼女の料理上手は会社でも知られていました。
2003年には 本も書いて それを何度も読んでくださった
瀬戸内寂聴さんが 紹介文を書いてくださったりしたそうです。
「ちびっこお遍路 よっくんが行く」という本です。
12年前のOB会の時 40人ほど参加したのですが
みんなに配るために 50個もの小銭入れを縫ったそうで
私もそれをいただいて 大事にしまっていました。
このたびのお遍路に お賽銭入れとして
ありがたく 持って行っております。
彼女は 公認先達であり 仏画写経教室もされ
自宅でパッチワークの先生もしています。
よっくんは いまや立派な社会人になっているそうで
「今の自分があるのは おばあちゃんのおかげ」と
感謝されるそうです。
コロナ以後 もう5年間 OB会が開催できていないけど
息子さんの分まで 元気に活躍しているはずです。
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四国の風土習慣のお接待もコロナで変わらないよう願います
小物入れ良いですね(^-^) 飴ちゃんが入ってます
其れも楽しい想い出ですよね(´∀`*)ウフフ
なまくら和尚とばぁば👵
感慨深いものがあります
ご自身のためだけではなくその域を超えたお参りをされていたのですね
今日はこれから友宅へ
またユックリ続きを読ませていただきますね
その本読んでみたいです
四国88箇所巡りは義姉2人がよく行っていました その話を聞きながら 行きたいな~でしたが
一歩が踏みだせなかった
今はもう無理でしょう お話し楽しみにしています
背中を見せる生き方なのでしょうね。
心打たれました。
ようさんもお遍路始められてよかったですね。
これこそ健康でなければできないことですから、お体労りながら続けてください。
周りに素晴らしい方がいらっしゃる、財産ですね。
何かを始めるって、エネルギーが要ります。
でもやったら、やっただけエネルギーも着いて来るんだろうな。。
今日は なんもせずに(やったけど成果が残っとらん)過ごしてしまいました。
接してくれるのでしょうね。
バス旅は 急ぎ足なので そのあたりの経験が少ないのが残念です。
飴ちゃん 旅には必需品です。
バスの通路向隣の席の方からミカン一ついただいたら 飴ちゃんをふたつお返ししたりして。
ひとりひとりの人生 みんな すばらしいです。
本当に人それぞれです。
色々教えられます。
お遍路旅は 昔の様に2年もかけて歩いて回らなくても バスやタクシーという手段もありますが
それが意外なほど大変です。
やはりお遍路に行きたいと思っていても 実際に一回りするだけでも
よほどの覚悟と家庭の状況に 自分の体力など タイミングがあることを知りました。
わたしは その当時は勤めをしつつ 3人の子がいて 8人家族でしたから
日曜以外 テレビを見ることもない日々でした。
彼女とは 勤務場所も違えば 仕事内容も違っていて 月に一回会うことが
あるかどうかでしたし いろんな人がいましたから。
お遍路に出かけるタイミングは 人それぞれですね。
行きたいとよほど強く願っても 実行できない場合も多いでしょう。
行けるときに思い切って始めてみると あとは流れができるのでしょうか。
私は 今が すべて条件がそろった 良い時期なのですね。