Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

カラヤンが象徴するもの

2009-03-09 | Media


宮下誠『カラヤンがクラシックを殺した』光文社新書、2008

著者の言っていることに98%くらい賛同する。だけど、なんだか新しい本を読んだ気がしない。それに、こういう言説はそもそもかっこわるい、と思う。かっこわるすぎる。だから、賛同はするけど、オレならこういうことは公言しない。頑固オヤジに説教されてるみたいな感じなんである。言ってることはそりゃごもっともなんだけど、でもそんなこと言ったって現実的には、、、という類のそれだ。

思うに、かっこわるさの源は、「カラヤンが象徴するもの」=ものの考え方や価値観・世界観(つまるところ戦後資本主義に行き着くだろう)を批判することが本書の目的と述べつつ、そんなことはタテマエであって、ホンネはカラヤンの音楽がキライでキライで、とにかくカラヤンを批判したいがために、「カラヤンが象徴するもの」が事後的に召還されたんじゃないか、と思えてしまうところにある。逆に言えば、カラヤンを批判するには、カラヤンが象徴するもの=戦後資本主義を大げさにも持ち出さざるをえなかった、ということである。

仮に、カラヤンが象徴するもの自体を批判するのが目的だったとしよう。だけど、もしそうなら、著者自身が述べているように、精神史的分析があまりにも不十分だ。なぜカラヤンがあのような音楽、あのような演奏にこだわり続けたのか、彼にそれを強いた背景・精神を徹底的に、そして客観的に分析してほしかった。そうすればじつにかっこよかったのに。またそれをやらないと、資本主義の病理、時代の病理なんてそれこそびくともしないだろう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿