Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

長屋門と洋館のある原っぱ

2020-08-08 | Memory of Yokohama life as a child
ミシシッピ・ベイを見下ろす台上にその空き地はあった。長屋門が残る広大な土地で、門のそばには、後から建てたか元からあったのかよくわからない日本家屋があって、ある家族が住んでいた。その何人いるのか定かでない兄妹の幾人かと私は同じ小学校に通い、放課後よく一緒に遊んだ。あだ名で呼びあっていたので、あだ名はよく覚えているけれど、本名ははっきり覚えていない。その長兄~いやもっと上の兄妹がいたかもしれぬが~は、近所では名の通った番長で皆から恐れられていた。

その空き地には彼らの住処のほかにももう一つ別の建物があった。兄妹たちの住む民家とは対照的な、煉瓦造り(石造りだったかも知れぬ)のその洋館はしかし廃屋であった。いつか意を決して友達と中に入ってみると巨大なホールがあり、ありとあらゆるものがことごとく壊れ散乱していた。この土地はかつて幼稚園として使われていたこともあるらしいと誰かから聞いた。洋館は十分に巨大であったが、その空き地と比べれば随分ちっぽけだった。だだっ広い原っぱと化した空き地には思い出したように庭石や植木があって、子どもながらに庭園の跡ではないかと想った。

その想像が正しかったことは、約30年後に証明された。たまたま広げた旧い地図に、その空き地があった場所を発見、よくよく目を凝らすと「若尾邸」という小さな文字。それはたくさんの建物からなる大邸宅で、建物のすべてが回廊のように繋がっていた。その中で唯一離れて建てられた細長い建物があり、それこそが私が小学生の時に見た長屋門であった。当時の空中写真も見てみた。するとあの立派な洋館もどうやらその大邸宅の中の一棟のようであり、玄関ホールと思われた。長屋門の先をたどっていくとその洋館にぶつかったからである。幸いにも当時の、すなわち長屋門と洋館しか写っていない空中写真と、それ以前の全ての建物が写っている空中写真の両方が残されていて、見比べればその洋館が玄関ホールであることは容易に知れた。

洋館に比べ敷地がだだっ広く見えたのは、元々そこにたくさんの建物が建っていたからであった。庭石や植木が随分と間延びしているように見えたのも、それらの間にたくさんの建物が建っていたからであった。また空中写真を見る限り、洋館以外はすべて木造の日本家屋と思われた。どうして洋館と長屋門だけが残されたのであろうか。洋館は煉瓦造りだったからかもしれない。しかし、あの兄妹が住んでいた日本家屋はその地図にも空中写真にも載っていなかった。。。

私が横浜を去って数年の後、この土地は住宅地として分譲された。



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