Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

Wk 6

2007-02-12 | Japan
Monday, Feb.5, 2007
*平成18年度日本造園学会全国大会分科会「アーバニズムとどう向き合うか? その4 人口減少社会におけるランドスケープのデザイン」報告原稿脱稿:なんとか「ランドスケープ研究4号」に間に合った。やれやれ。

Tuesday, Feb.6, 2007
*修論発表会(千葉大院環境計画学専攻環境デザイン学講座):出来映えにものすごい個人差があるが、全体的に興味深く聴くことができた。また、今年はわりと各研究室のカラーがよく出ていて色々な意味で楽しめた。不満な点は二つ。会場が良くない。講義室を使用しているためか、発表者と聴衆の位置関係ややりとりがひじょうに硬く、しかも単調になりがち。スタジオ(製図室)でゆったりとやるといいと思うのだが。もう一つは、教員の質問が非常に分かり難いということ。もっと簡潔に的を得た質問ができないものか。学生から質問が全く出ないのも異常な事態。クラスメイトは仲良しグループじゃなくてライバルだ、基本的には。他人を批評して自分を目立たせるくらいの意気込みがないと生き残れないぞ。

Wednesday, Feb.7, 2007
*千葉大院博士課程入試口頭試問試験監督:中国からの留学生がここ数年増えてきた。「留学とは留学先でなければ学べないことを学ぶことである」と僕は思っていたが、この考え方はとくに中国の方々に関して当てはまらないということを最近強く感じている。僕自身は、もしまた海外に留学する機会があったなら、アジアであろうとアフリカであろうと、ヨーロッパであろうと、アメリカであろうとどこであろうと迷わず留学先のことを勉強する。日本のことなんてきれいさっぱり忘れて。。。しかし、中国の方々は日本に来て「中国」のことを研究するのである。こういう状況について僕は数年前まで「日本に留学に来ている意味がない」「中国の研究をするんだったら中国でやればいいんであって日本くんだりまでわざわざ来ることはない」と思っていた。ところが、先に書いたように最近そういう考え方を改めた。

彼らは日本に留学に来てはいるけれども、べつだん日本のことを研究したいとは思っていない(人が多い)。一方、私自身は中国(特に専門である園林分野)について非常に関心がある。もっと見識を深めたいと思っている。であるならば、彼ら(中国の留学生)を通じて、中国のことを知る、というふうに理解すればよいのではないか、と最近考えた。もっと言えば、これまで中国語で頑なにガードされてきた中国文化というものを、留学生による研究を通じて日本語または英語によって開陳する、ということだ。いささか言い方は悪いが、我々としては留学生経由で中国研究をする、という戦略に立つわけである。

ところで、日本に来て中国を研究するというのにはいくつかの理由がある。一つは日本語が壁になっていて、日本のことを研究したくても事実上できない。これはわかりやすいが、中国人に限らず、日本語をしゃべれない(しゃべろうともしない)日本への留学生は確実に増加している(これについてはまたあとで述べる)。また、留学が終わって帰国した後、日本のことより中国のことを研究しておいたほうがなにかと好都合、という事情もあるだろう(日本と中国では基本的なシステムが違いすぎる)。もう一つは僕の推測だが、中国人の無意識の「中華思想」がやはりあるんじゃないのか。そう考えたのは、最近の留学生による研究をみると、「中国文化が日本文化にいかなる影響を与えたか?」という基本コンセプトの研究が非常に多くなってきているからだ。中国文化を知らしめんがために日本に留学しにきてるんじゃないかとさえ勘ぐりたくなるくらいだ。

まあそれはないだろうが、それでは彼らは(日本のことなどべつに勉強したくもないのに)なぜわざわざ日本に留学するのか、という疑問が浮上する。答えはおそらく「(日本での)学位」である。日本の研究はおろか、日本語による研究も関心が薄くなる一方でしかし学位は欲しい。我々としてはいささか複雑な心境だが、これについても僕は積極的にこう考えている。少子化で今や大学は国際的に学生を集める時代になっている。そのためにはできるだけ留学しやすい条件を整える必要があるのだが、大多数の留学生にとって「日本語」がこれまで以上に障壁となっている。「日本語じゃなきゃダメ」ではなく、「英語でもOK」が留学生獲得の必須条件になりつつあるのだ。「日本語をしゃべれず日本のことを研究しようともしない日本への留学生」が急増している理由はここにある。しかし、僕としては、こちらも可能な限り条件を整えて、優秀な留学生に来てもらい、互いにハッピーならそれでいいではないか、と割り切っている。

しかし、本音を言うと、日本に来て日本のことを研究しないというのはとても残念なことだ。でも、ランドスケープの分野で外国人が日本で学ぶべきことって果たしてあるんだろうかと、僕自身疑問に思うことは確かにある。思いつくのは日本庭園くらいなものか。いや日本庭園だって、中国人にしてみれば中国庭園の亜流でしかないのだが。。。古代都市設計、寺院建築、みんなそうである。

Thursday, Feb.8, 2007
*専攻生研究打合せ/研究生打合せ
*臨時教授会
*平成19年度日本造園学会全国大会分科会に向けた資料収集
*A先生から以下の資料をいただく。
・奈良女子大学21世紀COEプログラム 2006年国際シンポジウム「古代都市の空間構造と思想-その現代的展開を目指して-」報告要旨集(主催:奈良女子大学21世紀COEプログラム〈古代日本形成の特質解明の研究教育拠点〉、共催:独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所):ミヤギセンセイの報告の中でイシカワさんの図版がさりげなく引用されていてビックリ。
・日本遺跡学会誌「遺跡学研究」第2号,2005,日本遺跡学会:パブリック考古学について

Friday, Feb.9, 2007
*大学院授業「都市環境学特論II」補習:巣鴨地蔵通りのランドスケープデザイン・ガイドラインの検討案について最終調整
関東農政局より国家公務員採用I種(農学II)試験の業務説明会実施の申し入れ
*今年度修了予定の院生の成績追加報告

Saturday, Feb.10, 2007
*息子を連れて駅前まで出たついでにCD(The Scholars "ANNIE LAURIE: Folk Songs of British Iles")を衝動買い。イギリスの民謡というのはまるでポピュラーミュージックのように聴くことができる。民謡とポップスがつながっているからである。日本の民謡とポピュラーミュージックのあいだには明らな断絶があって、イギリス民謡のようには聴くことができない。すごく残念なことである。
*非常勤講師をやらせていただいている早稲田大学芸術学校から卒業・設計展の案内と学校案内が届く。来年度の学生確保を請われるもこっち(千葉大学)だってたいへんなのだ。

最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2007-02-07 19:41:25
名前を名乗らなくて申し訳ありません。
学校やゼミの雰囲気にもよると思うのですが、
「他人を批評して自分を目立たせる」のは如何と思います。
修論発表会として他人の論文に質問が出ないのは確かに不思議ですが、自分を目立たせるための批評は学問の向上へとつながるのでしょうか?しこりが残りそうで…。仲良しグループとも思いませんが発表者のための批評が第一で次に研究室や講座の質を高めるための批評がくるのではないでしょうか?
返信する
Unknown (スコどの)
2007-02-07 23:28:42
どなたかわかりませんが、書き込みありがとうございます。「自分が目立つ」のはあくまで「結果」であって、それが「目的」ということではもちろんないです。それから、やはり本質的な(貴兄が言うところの、学問の向上に資する)質問でないと誰も相手にしてくれないでしょう。くだらない質問は自分を目立たせるどころかかえって恥をさらすだけで、しない方がましです。

「発表者のための批評が第一」ですか。美しき正論だと思います。しかし、学術発表の場というのは、例えば学会、国際学会等であればなおさらですけど、そこで質問や意見するということは、それが学問的なインタレストに基づくものであることは当然のこととして、しかしそのことを超えて、「自分もそういう研究をやっている」ということをアピールすることを意味するでしょう。これは、アカデミズムの世界では常識的に認識されていることです。例えば、えらい先生の発表を自分の質問や意見でヘコますことができれば、それは自分の存在を研究コミュニティに高らかと知らしめることになります。まあ、そこまで行かなくとも、私が言いたかったのは、それぐらいの気概が欲しいということです。

でも、これはアカデミズムの場に限ったことではないんじゃないでしょうか。どんな場であろうと、「社会のなかで活動する」ということは、多かれ少なかれ「自分をアピールする」ことにほかなりません。だって、そうしないと食っていけません。これは海外の大学で気づいたことですが、日本の学生は同僚を押しのけてまで自分をアピールしたり、目立ったりという能力が殆ど病的なまでに弱いです。(これは私自身そうです。いまだに。まあそれが日本人のいいところでもあると思いますが。)海外では、平気で同僚を貶めて自分が優位に立つ(わかりやすい例でいうと、試験や就職の情報を他人に流さないとか)ことなど日常茶飯事。発表会等の場では学生同士、先生同士でケンケンガクガク。「しこりが残る」なんてことを気にしていたら、それこそ自分を守れない。まあ極端な例をお話ししましたが、日本だって少なからず「実態」は貴兄が言うようなこととは裏腹に、もっとドロドロしているんじゃないでしょうか。
返信する
しこりは残さない (中島敏博)
2007-02-08 15:17:16
留学生の話、とても興味深く読みました。
批評の話のようですが、私は前所属大学では先生とそれこそ毎日けんかのように言い合いをしていました。今の大学に来て、批評しにくい空気にとても戸惑いました。
結局、批評しあって喧嘩慣れしていくことが最善と思います。しこりを残す、残さないという議論は(少なくとも)アカデミックな場ではコミュニケーション能力が欠如していると感じます。コミュニティを論じる研究室が集まる中で、こうしたコミュニケーションが成り立っていないことに少し悲しい思いです。
返信する
初投稿 (Aizawa)
2007-02-09 03:03:53
「クラスメートはライバルだ!」というのはともかく、批評しあうことはお互いの研究の向上のため大切だと思います。

修論発表会はなんとなく学生が質問しにくい雰囲気がありますが(園芸学部のは見てないですが)、研究室内でお互いの研究を発表しあって批評しあうことがないというのは研究が受動的になっていることの表れではないでしょうか?「学位」のために研究をするというのも然りです。

今回の修論でも、うちの研究室内でせっかく中米と日本で同じような研究をしていたのだから比較研究などしたら面白かったのでは?と思います。
少なくとも研究計画の時点で面白い議論ができたことは間違いないと思いますが…

ということでただ今そのような場を設けられるようM1の何人かと一緒に検討しております。
もし研究室の雰囲気を読めていない部分などありましたらご指摘下さい。
返信する
Unknown (スコどの)
2007-02-09 10:05:58
ナカジマ君、アイザワ君、どうもありがとう。
本来こっち(教員)が考えるべきことで、
次年度はゼミ活動の活性化とその成果の発信について
ちょっと考え直していきたいと思いますのでよろしく。
返信する

コメントを投稿