米ランドスケープ・アーキテクチュア誌の近刊をぱらぱらと捲っていて目に留まった記事。一つは1月号の「テクノロジー」紹介の項。アーバン・フォレストの評価とその計画技術に関する記事で、サンフランシスコの「アーバンフォレスト・マッピング・プロジェクト」や、USGS が提供する「ナショナルマップ」、シカゴの「グリーン・インフラストラクチュア・マッピング・プログラム」、その他、GIS/GPSを用いた樹木管理のためのアプリケーション・ソフト等が紹介されている。米国では、いわゆる緑被図に類する地理情報はすでにナショナルスケールで完全にパブリック・ドメインとなっている。サンフランシスコの樹木マップは樹一本一本がピンポイントでマッピングされている(追加も可能)驚くべき地図。
いまひとつは、2月号の「都市公園」の項。高速道路上の人工地盤公園について論じたもの。まだよく読んでいないので論評は控えたいが、個人的にはどうも高速道路に蓋掛けしてそのうえを公園にする(道路と公園の分離、あるいは交通とレクリエーションの分離)というのは、そのことによって得られる数多の恩恵を何ら否定するものではないが、「臭いものには蓋をしろ」的な発想というか、20世紀的な手法という感じは正直なところする。その点、むしろ古典的なパークウェイの(道路と公園をレイヤリングしてしまった)コンセプトのほうが断然冴えているではないか。
ボストンの「ビッグ・ディグ」も素晴らしいプロジェクトだとは思うが、これも臭いものには蓋をしろ型の典型例。ただ、この事例は、臭いものに蓋をしたのではなく、埋めて(地下化して)しまったところがすごいのだが。ひるがえって、本邦日本橋のケースはどうだろう。運河の上に高速道路が建設されたのは、建設用地の確保上の理由のみならず、臭いもの(当時の日本橋川)には蓋(首都高)をしてもかまわない、という心理が無意識に働いていたのではあるまいか。その「蓋」を取っ払って当初の風景を取り戻そうというのがこの構想の趣旨である。ここで、「臭いもの」とはいまや首都高になり代わっている。時代の流れの中で「臭いもの」が完全に逆転してしまったのだ。しかし、臭いものは除去されるべし、というコンセプトは貫徹される。
ソウルの清渓川(チョンゲチョン)も日本橋と同様の経緯をもつ。臭い清渓川にかけられた蓋(高速道路)を除去して、臭くない清渓川が再生されたのである。ただし、清渓川の場合は、たんに蓋(高速道路)を取っ払った(移設した)のではなく、捨てて(廃道にして)しまった点が非常にユニークである。なんとも韓国らしい潔さである。清渓川プロジェクトのすごさは、河川再生にではなく「道路の廃止」という点に認められるべきだろう。とはいえ、やはり「臭いもの」と「それにする蓋」という二分法を前提としている点はその他のプロジェクトと同様である。この二分法を乗り越える手法が欲しいところだ。
いまひとつは、2月号の「都市公園」の項。高速道路上の人工地盤公園について論じたもの。まだよく読んでいないので論評は控えたいが、個人的にはどうも高速道路に蓋掛けしてそのうえを公園にする(道路と公園の分離、あるいは交通とレクリエーションの分離)というのは、そのことによって得られる数多の恩恵を何ら否定するものではないが、「臭いものには蓋をしろ」的な発想というか、20世紀的な手法という感じは正直なところする。その点、むしろ古典的なパークウェイの(道路と公園をレイヤリングしてしまった)コンセプトのほうが断然冴えているではないか。
ボストンの「ビッグ・ディグ」も素晴らしいプロジェクトだとは思うが、これも臭いものには蓋をしろ型の典型例。ただ、この事例は、臭いものに蓋をしたのではなく、埋めて(地下化して)しまったところがすごいのだが。ひるがえって、本邦日本橋のケースはどうだろう。運河の上に高速道路が建設されたのは、建設用地の確保上の理由のみならず、臭いもの(当時の日本橋川)には蓋(首都高)をしてもかまわない、という心理が無意識に働いていたのではあるまいか。その「蓋」を取っ払って当初の風景を取り戻そうというのがこの構想の趣旨である。ここで、「臭いもの」とはいまや首都高になり代わっている。時代の流れの中で「臭いもの」が完全に逆転してしまったのだ。しかし、臭いものは除去されるべし、というコンセプトは貫徹される。
ソウルの清渓川(チョンゲチョン)も日本橋と同様の経緯をもつ。臭い清渓川にかけられた蓋(高速道路)を除去して、臭くない清渓川が再生されたのである。ただし、清渓川の場合は、たんに蓋(高速道路)を取っ払った(移設した)のではなく、捨てて(廃道にして)しまった点が非常にユニークである。なんとも韓国らしい潔さである。清渓川プロジェクトのすごさは、河川再生にではなく「道路の廃止」という点に認められるべきだろう。とはいえ、やはり「臭いもの」と「それにする蓋」という二分法を前提としている点はその他のプロジェクトと同様である。この二分法を乗り越える手法が欲しいところだ。
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