goo blog サービス終了のお知らせ 

気になる事  blueのためいき

日々気になる事を記します。共感してくださる方もそうでない方もちょっと立ち止まって考えて頂ければ、うれしいです。

武田邦彦氏のブログより 【普通の歴史】1-1 江戸から明治へ(1)日本と中国だけが残った

2013-07-25 10:51:51 | リンク

「rekishi001tdyno.294-(7:26).mp3」をダウンロード

今から150年ほど前から100年ぐらい前の世界は今と全く違っていた。

まず、世界は「ヨーロッパとアメリカの独立国」と「ヨーロッパとアメリカが占領していた国」と「日本と中国」の3つだけだった。もちろん、例外はある。アフリカならエチオピア、アジアならシャムのような国で、エチオピアは疫病、シャムはヨーロッパ勢の勢力争いの谷間で僅かに独立していたが、それもほんの少しの国だった。

当時の世界は今では信じられないことが行われていた。

「ヨーロッパやアメリカは、他の国を自分のものにしたければ自由にしてよい」というのが常識だった。たとえば130年ほど前、ヨーロッパ諸国が集まって「アフリカ分割会議」をして、アフリカ諸国を分割した。信じられないけれど、1884年にドイツのベルリンで、実際にアフリカ人が住んでいて国もあるアフリカをヨーロッパの国が勝手に「分割する」と決めて、分割の地図まで作った。

 

この絵はアフリカ分割を決めたベルリン会議の様子だが、いかにも国際会議の格好をつけて人の国を分割している.もちろんこの場にアフリカの国の代表は参加していない.ヨーロッパ人は「地球上のすべての土地は暴力(武力)で自分のものにしてかまわない」と考えていた。

ヨーロッパはこのベルリン会議からさかのぼること400年ほど前に「トルデシリャス条約」というのをスペインとポルトガルで結んでいて、なんと!地球でヨーロッパではないところは、西経46度37分の東がポルトガル、西をスペインと分割したのだ.ヨーロッパ人には「他人が住んでいる他人の国」という考え方が全くなく、自分勝手だから「ヨーロッパ人が取った土地は、誰が住んでいてもヨーロッパのもの」と固く信じていた.もちろん、背後にはキリスト教という精神的なバックボーンがあったけれど、キリスト教を利用したという感じである.

 

武田邦彦


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 西村眞悟の時事通信 嗚呼、... | トップ | 中国軍機 沖縄本島―宮古島間... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。