主将と委員長

2010-03-05 | 社労士日記
読書ブームは続くらしい・・・今日は事務所に戻る前に本屋に立ち寄り

いくつか目に付いた本もありましたが、何も買わず・・・あまりの空腹に負けたのでした



昨日で今号の支部会報業務は終わったわけですが・・・打ち上げが残ってるね

委員長とは何だろうと思うことしばしば

もちろん色んな委員長がいて当たり前だし、というか状況が違えば同じ人でも変わるだろうし
などと考えていたら、カズがうまく説明してくれていたよ


***** 日経朝刊(3/5)「サッカー人として 三浦知良」より ここから *****
『プロに主将いなくても』

リーグ開幕の春がやってきた。柄にもなく、今年は主将を引き受けている。

キャプテンとは何か。試合前のコイントスで自陣がどちらかを決める人。ヴェルディ川崎などで主将を任されたとき、実際に僕がしたことtといえばそれぐらいしかなかったよ。ラモス瑠偉さん、柱谷哲二さんに北沢豪君。一人ひとりが主将のような選手に囲まれ支えられていた。キャプテンなど、あるようでなかった。

あの腕章を巻くとリーダーの自覚が目覚める。でも、主将がすべき仕事が少なく、監督がやらねばいけないことが少ないチームの方がいいし、強い。主将がみんなを必死に束ね、何度もミーティングで話し合わねばならないというのは、大抵は物事がうまく運んでいないときだからね。

一人ひとりが意識もスキルも高く、プロフェッショナルとしての仕事に徹する。これが基本だし、さらに言えばこのメンテリティーや技術は、主将や監督がどうにかできる性質のものでもないような気がする。

ブラジルで武者修行していたころ。交代を告げられた選手が、不満丸出しでベンチにも寄らず控え室へ向かう姿をよく目にした。「おれはこれで飯を食っているのに、食えなくなるじゃないか」。そんな切実で強烈な自負。これもプロなんだと感じたものだった。

もし僕が監督だったとする。選手を交代させ、ねぎらおうと握手を求め、逆にはねのけられたとしたら?

「根性あるな」と僕は一目置くと思う。もちろんピッチできちんと仕事をしないといけないけれど、そのくらいのプロ意識はいい。僕もそうだったから。

監督には監督の考え、選手には選手の意思がある。ただ、それをどう表現するかは本人の責任だ。強い自己主張を表面だけまねてもだめで、行動の責任は結局、自分に返ってくるんだ。

ブラジルでは一番うまい選手がリーダーになることが多い。それでもリーダーのタイプは様々で、こうあるべしという答えは1つじゃない。主将を出発点にチームを作る監督もいれば主将をあえて何回も代える人もいる。

リーダーをおいて集団をまとめさせた方がいいとする価値観、キャプテンを求めたくなる心情。主将一つにも、僕らの文化がにじみ出るね。
(元日本代表、横浜FC)
***** 日経朝刊(3/5)「サッカー人として 三浦知良」より ここまで *****


プロ意識っていうのは、支部の委員会だからちぃと違うかもしれないけど・・・ある意味ボランティアだし

とはいえ、自主的に委員に入るわけだから、自主的(積極的)に取り組む姿勢は必要だよね

主将(委員長)のために活動しているわけではなく、支部全体のために活動しているわけだから

委員長って、まとめ役だったり、支部との連絡係的なもんでいいと思うんだけど

委員長と委員とは同列でいいはずと思うのは自分だけかなぁ・・・これって無責任に取られちゃうのかな



追記 小松菜ブームもまだ続く・・・夕食後、明日以降のために小松菜買出し
で、読書ブームの3冊目は「告白」でした

本屋大賞を受賞していたというのは新聞記事で見ていたし、ちょうど1,2冊目の近くにあったしね

というわけで、先日購入した3冊は読み終わり、栄えある取り敢えずもう1回読むで賞は

「行くのか武蔵」で・・・理由はもう1回読んで探します

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