空は何となく明るいんだけどね
現在、2度目の雨宿り中…今日は降ったり止んだりなのかな
昨夜から装着したベストですが今日も雨予報なので装着済み…これはベストな選択であります(^^)v
【89時間 7:26】
横から拝殿をちら見しておきました
追記 なんとか2度の雨宿り&軽飯兼雨宿りで最低限の100kmちょっと
そういえば記事をUPしたのは杉本寺の前だったのですが、白衣を着たお遍路さん的な人たちが歩いてたなぁ
雨の中、鎌倉三十三観音でも巡るのかな・・・まさか坂東さん
今日はこれから事務所の備品の購入&頭の軽量化であります ~
で、おまけ・・・先日までに2回に分けて触れました松原泰道さんの記事があったので
中身は以前の記事とほぼ同じですけどね
***** 日経夕刊(9/11)「追想録」より ここから *****
『人生説法、ひょうひょうと』 松原泰道さん(前龍源寺住職)
「生涯修行、臨終定年」がモットーだった松原さん。ただ、「最近は座禅も庭掃除もできない。今の私にできる修行は『読む、書く、話す』だけ」と笑っていた。
東京・三田にある臨済宗妙心寺派の龍源寺の禅僧だが、他宗派や聖書の思想、パスカルやハイデッかーなど哲学の造詣も深かった。朝5時から机に向かい、ペンを執る。仏教の心と知恵を分かりやすく解説した「般若心経入門」がベストセラーになったのは65歳のとき。また、宗派を超えてつじ説法を行う「南無の会」を創設。現代人のための伝道師として、友人たちのリタイアと入れ替わるかのように忙しくなった。
とりわけ印象に残っている説法が、江戸末期の博多の名僧、仙(せんがい)についての話だ。仙の死に際、弟子たちが遺言を求めると、「死にとうない」と言った。高僧が残す素晴らしい言葉を期待していた弟子たちは慌ててしまった。「ご冗談ではなく、本当のことをおっしゃって」と再び求めると、仙は「ほんまに、ほんまに死にとうない」と言ったという。
「このエピソードを知ったとき、私の気持ちがスーッと楽になりましてね。誰でも死にたくない。そんな未練を残している者こそ救われるという深い教えがそこにある。痛ければ、『いたーい』と叫べばいい。悲しければ、泣いたらよろしい。死ぬ間際まで格好いい言葉を残そうなんて色気を出すことはありません。生きるときは精いっぱい生き、死ぬときはお任せする。それが禅の生き方なんですよ」と松原さん。
今年初め、取材したとき、「目も耳も限界でね、もっと近寄ってください」という。顔がくっつくほどの隣に座らせてもらう。なんだか、孫がおじいさんに教えを請いに来たような図であった。
「『百年に一度の危機』といわれますが、日本はどうなるんでしょう」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「殺人や強盗といった嫌な事件が頻発している。でも、あらゆる悪が人間から招来するものなら、あらゆる善もまた人間から招来することができるはず。本当は、経済恐慌より、人間の心が荒廃することの方がずっと恐ろしい。結局は人間を救うものは人間であり、その自覚のみが人間を救うということです」。“人間力”への信頼を熱っぽく語っていた。
そして、相変わらずユーモアを忘れない。「私が死んでも墓参りは不要です。『千の風(になって)』ではないけれど、私は墓の下にはおりません。あの世でも説法で忙しいので・・・・・・」
7月29日永眠。だが、悲しむ必要はないのかもしれない。この日は、松原さんにとって、あの世での説法の初日なのだから。
=7月29日没、101歳
(編集委員 野村義博)
***** 日経夕刊(9/11)「追想録」より ここまで *****
現在、2度目の雨宿り中…今日は降ったり止んだりなのかな
昨夜から装着したベストですが今日も雨予報なので装着済み…これはベストな選択であります(^^)v
【89時間 7:26】
横から拝殿をちら見しておきました
追記 なんとか2度の雨宿り&軽飯兼雨宿りで最低限の100kmちょっと
そういえば記事をUPしたのは杉本寺の前だったのですが、白衣を着たお遍路さん的な人たちが歩いてたなぁ
雨の中、鎌倉三十三観音でも巡るのかな・・・まさか坂東さん
今日はこれから事務所の備品の購入&頭の軽量化であります ~
で、おまけ・・・先日までに2回に分けて触れました松原泰道さんの記事があったので
中身は以前の記事とほぼ同じですけどね
***** 日経夕刊(9/11)「追想録」より ここから *****
『人生説法、ひょうひょうと』 松原泰道さん(前龍源寺住職)
「生涯修行、臨終定年」がモットーだった松原さん。ただ、「最近は座禅も庭掃除もできない。今の私にできる修行は『読む、書く、話す』だけ」と笑っていた。
東京・三田にある臨済宗妙心寺派の龍源寺の禅僧だが、他宗派や聖書の思想、パスカルやハイデッかーなど哲学の造詣も深かった。朝5時から机に向かい、ペンを執る。仏教の心と知恵を分かりやすく解説した「般若心経入門」がベストセラーになったのは65歳のとき。また、宗派を超えてつじ説法を行う「南無の会」を創設。現代人のための伝道師として、友人たちのリタイアと入れ替わるかのように忙しくなった。
とりわけ印象に残っている説法が、江戸末期の博多の名僧、仙(せんがい)についての話だ。仙の死に際、弟子たちが遺言を求めると、「死にとうない」と言った。高僧が残す素晴らしい言葉を期待していた弟子たちは慌ててしまった。「ご冗談ではなく、本当のことをおっしゃって」と再び求めると、仙は「ほんまに、ほんまに死にとうない」と言ったという。
「このエピソードを知ったとき、私の気持ちがスーッと楽になりましてね。誰でも死にたくない。そんな未練を残している者こそ救われるという深い教えがそこにある。痛ければ、『いたーい』と叫べばいい。悲しければ、泣いたらよろしい。死ぬ間際まで格好いい言葉を残そうなんて色気を出すことはありません。生きるときは精いっぱい生き、死ぬときはお任せする。それが禅の生き方なんですよ」と松原さん。
今年初め、取材したとき、「目も耳も限界でね、もっと近寄ってください」という。顔がくっつくほどの隣に座らせてもらう。なんだか、孫がおじいさんに教えを請いに来たような図であった。
「『百年に一度の危機』といわれますが、日本はどうなるんでしょう」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「殺人や強盗といった嫌な事件が頻発している。でも、あらゆる悪が人間から招来するものなら、あらゆる善もまた人間から招来することができるはず。本当は、経済恐慌より、人間の心が荒廃することの方がずっと恐ろしい。結局は人間を救うものは人間であり、その自覚のみが人間を救うということです」。“人間力”への信頼を熱っぽく語っていた。
そして、相変わらずユーモアを忘れない。「私が死んでも墓参りは不要です。『千の風(になって)』ではないけれど、私は墓の下にはおりません。あの世でも説法で忙しいので・・・・・・」
7月29日永眠。だが、悲しむ必要はないのかもしれない。この日は、松原さんにとって、あの世での説法の初日なのだから。
=7月29日没、101歳
(編集委員 野村義博)
***** 日経夕刊(9/11)「追想録」より ここまで *****