まくは瓜をさなき息をあてて食ふ 蕪 城
「まくは瓜」は、古くから栽培されている、瓜の代表的なもので、晩夏に、芳香を漂わせて黄熟する。果実は、丸・楕円・円筒形などがある。
美濃の子と貪る美濃の甜瓜 誓 子
とあるように、甜瓜(まくはうり)は、岐阜県真桑が産地として知られ、「まくはうり」の名がある。甜瓜は、真桑瓜・真桑・真瓜とも言う。
我に似な二つに割れし真桑瓜 芭 蕉
この句は、門人の之道(しどう)に与えた句である、と注記がある由。
芭蕉に対する、之道の真摯な傾倒ぶりをまのあたりに見て、「我に似な」といったものであろう。
ところで、「似な」であるが、文法の上からは「にるな」と読みたいところなのだが、句の調子から見て、「にな」と読ませたものかも知れない。
ここには、真の精神を把握しないで、形の模倣に陥ることを戒める気持とともに、「たどりなき風雲に身を責め、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかり事とさへなれば、つひに無能無才にして此の一筋につながる」(幻住庵記)という生き方を貫いた、自己自身に対する述懐となっていると思われる。
句の発想は、即興風である。もてなしとして席上に出された真桑瓜を契機としての発想であろう。元禄七年(1694)夏、伊賀上野での作といわれる。
「二つに割れし真桑瓜」は、酷似するものについていう「瓜二つ」のたとえを踏まえているのだろう。このたとえは、すでに『毛吹草』の「世話」の部に、「うりをふたつにわりたるごとし」と見えている。
「あなたは、私について熱心に俳諧を学んでおられるが、ここにある
二つ割りの真桑瓜の双方が、全く相似ているようではいけない。
どうか私に似ないで、あなた独自の道を進んでほしい」
いま、東京・銀座の『画廊 宮坂』で、【Slow And Sure】展が開かれている。若き画家(廣田真知子・野村幸恵・湯浅ひろみ)たちのグループ展である。
三人三様、それぞれのこだわりを持って、独自の道を歩んでおられるのが清々しい。今後も、おもねることなく、【ゆっくりと確実に】、ご自分の描きたいものを魂こめて描いていただきたい。どうか今の“こころ”を忘れずに!
詳細は、『画廊 宮坂』のホームページをご覧下さい。
20日(土)まで開かれているので、ぜひ、見るではなく観てやってください。
広島のあの日あのとき夾竹桃 季 己
「まくは瓜」は、古くから栽培されている、瓜の代表的なもので、晩夏に、芳香を漂わせて黄熟する。果実は、丸・楕円・円筒形などがある。
美濃の子と貪る美濃の甜瓜 誓 子
とあるように、甜瓜(まくはうり)は、岐阜県真桑が産地として知られ、「まくはうり」の名がある。甜瓜は、真桑瓜・真桑・真瓜とも言う。
我に似な二つに割れし真桑瓜 芭 蕉
この句は、門人の之道(しどう)に与えた句である、と注記がある由。
芭蕉に対する、之道の真摯な傾倒ぶりをまのあたりに見て、「我に似な」といったものであろう。
ところで、「似な」であるが、文法の上からは「にるな」と読みたいところなのだが、句の調子から見て、「にな」と読ませたものかも知れない。
ここには、真の精神を把握しないで、形の模倣に陥ることを戒める気持とともに、「たどりなき風雲に身を責め、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかり事とさへなれば、つひに無能無才にして此の一筋につながる」(幻住庵記)という生き方を貫いた、自己自身に対する述懐となっていると思われる。
句の発想は、即興風である。もてなしとして席上に出された真桑瓜を契機としての発想であろう。元禄七年(1694)夏、伊賀上野での作といわれる。
「二つに割れし真桑瓜」は、酷似するものについていう「瓜二つ」のたとえを踏まえているのだろう。このたとえは、すでに『毛吹草』の「世話」の部に、「うりをふたつにわりたるごとし」と見えている。
「あなたは、私について熱心に俳諧を学んでおられるが、ここにある
二つ割りの真桑瓜の双方が、全く相似ているようではいけない。
どうか私に似ないで、あなた独自の道を進んでほしい」
いま、東京・銀座の『画廊 宮坂』で、【Slow And Sure】展が開かれている。若き画家(廣田真知子・野村幸恵・湯浅ひろみ)たちのグループ展である。
三人三様、それぞれのこだわりを持って、独自の道を歩んでおられるのが清々しい。今後も、おもねることなく、【ゆっくりと確実に】、ご自分の描きたいものを魂こめて描いていただきたい。どうか今の“こころ”を忘れずに!
詳細は、『画廊 宮坂』のホームページをご覧下さい。
20日(土)まで開かれているので、ぜひ、見るではなく観てやってください。
広島のあの日あのとき夾竹桃 季 己