鏡 王 女
神奈備の 磐瀬の森の 呼子鳥
いたくな鳴きそ わが恋まさる (『萬葉集』巻八)
鏡王女(かがみのおほきみのむすめ)は、鏡王の娘ということで、額田王(ぬかだのおほきみ)の姉であり、はじめ天智天皇の寵愛を受け、のち藤原鎌足の正妻となった。
彼女の墓が、忍坂(おっさか)の舒明天皇陵の域内にあるので、天皇の皇女か皇妹であるという説もあるが、そうだとすれば鏡女王とあるのが普通であろう。
日本紀には鏡姫王とある。懐妊中、鎌足に下され、その正妻となった。そのとき生まれた不比等(ふひと)は、皇胤だったということになる。
この歌はいったい、どちらへの思いを詠んだものなのだろうか。
「神奈備(かむなび)」とは、神の山ということで、神霊の依る木をたてて、その山に神を招いて祀った所である。
大和では、飛鳥の神奈備、竜田の神奈備、三輪の神奈備が有名だったが、ここの神奈備は、竜田の神奈備と思われるが、諸説がある。
神奈備の磐瀬の杜で、鳴いている呼子鳥よ。そんなにひどく鳴いてくれるな。わたしの恋いこがれる心が、いっそう強くなるではないか……
呼子鳥とは「郭公(くわっこう)」のこと。
初夏に南方より渡来する夏鳥で、夏が深まると高原や高山に移り、やがて秋になると再び南へ帰って行く。
ホトトギス科の鳥で、雌雄同じ色で背面は暗灰色、風切羽は褐色じみていて、腹面には黒い筋が走っている。
カッコウ、カッコウと丸くはずむような美しい声なので、人々に親しみを感じさせる。
呼子鳥と名付けたのは、鳴き声を「吾子吾子(あこあこ)」と、わが子を呼んでいるのだと、聞きなしたからであろう。「ほととぎす」を「郭公」などと書いたりするのは、「くわっこう」と「時鳥(ほととぎす)」とを混同したからである。
「くわっこう」は、「時鳥」より早くから鳴き出し、あとまで鳴いている。鳥の声に古代の日本人が注意を引かれたのは、鑑賞の対象だったのではない。むしろ鳥によっては、魂を誘い出すものとして恐れられていた。
これは、呼子鳥に呼びかけた歌で、長く訪れて来ない恋人を恨む心が裏にこもっているように感じられる。磐瀬の森の時鳥はほかにも歌われ、神域の幽邃さのなかに鳥の声を聞くことが、ひどく身にしみて感銘されたのである。
ことにそれが晩春・初夏の季節に、含み声で鳴く呼子鳥だったことが、いっそう感傷をそそったのであろう。「わが恋まさる」の結句は、恋心がいっそうひたひたと胸にみなぎってくるということで、はなはだ率直の語気である。
彼女は額田王の姉であったから、額田王の歌にも共通な、言語に対する鋭敏さがうかがわれ、額田王の歌よりももっと素直で才気の目立たぬところがある。また、時代も万葉上期だから、その頃の純粋な響き・語気を伝えている。
郭公や思ひたつたる阿修羅展 季 己
神奈備の 磐瀬の森の 呼子鳥
いたくな鳴きそ わが恋まさる (『萬葉集』巻八)
鏡王女(かがみのおほきみのむすめ)は、鏡王の娘ということで、額田王(ぬかだのおほきみ)の姉であり、はじめ天智天皇の寵愛を受け、のち藤原鎌足の正妻となった。
彼女の墓が、忍坂(おっさか)の舒明天皇陵の域内にあるので、天皇の皇女か皇妹であるという説もあるが、そうだとすれば鏡女王とあるのが普通であろう。
日本紀には鏡姫王とある。懐妊中、鎌足に下され、その正妻となった。そのとき生まれた不比等(ふひと)は、皇胤だったということになる。
この歌はいったい、どちらへの思いを詠んだものなのだろうか。
「神奈備(かむなび)」とは、神の山ということで、神霊の依る木をたてて、その山に神を招いて祀った所である。
大和では、飛鳥の神奈備、竜田の神奈備、三輪の神奈備が有名だったが、ここの神奈備は、竜田の神奈備と思われるが、諸説がある。
神奈備の磐瀬の杜で、鳴いている呼子鳥よ。そんなにひどく鳴いてくれるな。わたしの恋いこがれる心が、いっそう強くなるではないか……
呼子鳥とは「郭公(くわっこう)」のこと。
初夏に南方より渡来する夏鳥で、夏が深まると高原や高山に移り、やがて秋になると再び南へ帰って行く。
ホトトギス科の鳥で、雌雄同じ色で背面は暗灰色、風切羽は褐色じみていて、腹面には黒い筋が走っている。
カッコウ、カッコウと丸くはずむような美しい声なので、人々に親しみを感じさせる。
呼子鳥と名付けたのは、鳴き声を「吾子吾子(あこあこ)」と、わが子を呼んでいるのだと、聞きなしたからであろう。「ほととぎす」を「郭公」などと書いたりするのは、「くわっこう」と「時鳥(ほととぎす)」とを混同したからである。
「くわっこう」は、「時鳥」より早くから鳴き出し、あとまで鳴いている。鳥の声に古代の日本人が注意を引かれたのは、鑑賞の対象だったのではない。むしろ鳥によっては、魂を誘い出すものとして恐れられていた。
これは、呼子鳥に呼びかけた歌で、長く訪れて来ない恋人を恨む心が裏にこもっているように感じられる。磐瀬の森の時鳥はほかにも歌われ、神域の幽邃さのなかに鳥の声を聞くことが、ひどく身にしみて感銘されたのである。
ことにそれが晩春・初夏の季節に、含み声で鳴く呼子鳥だったことが、いっそう感傷をそそったのであろう。「わが恋まさる」の結句は、恋心がいっそうひたひたと胸にみなぎってくるということで、はなはだ率直の語気である。
彼女は額田王の姉であったから、額田王の歌にも共通な、言語に対する鋭敏さがうかがわれ、額田王の歌よりももっと素直で才気の目立たぬところがある。また、時代も万葉上期だから、その頃の純粋な響き・語気を伝えている。
郭公や思ひたつたる阿修羅展 季 己