壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

一つ葉

2009年06月10日 20時19分42秒 | Weblog
        夏来てもただ一つ葉の一葉かな     芭 蕉

 「一つ葉(ひとつば)」は、イシノカワ・イワグミなどともいい、暖地の山間の岩の上や木陰に群生する、常緑のシダ類多年草である。
 茶褐色の根茎が這い、ところどころに葉柄を立て細長い葉を一枚ずつつける。一般のシダ類のように、葉が細かく羽状に分かれていないので、この名がある。葉の表面は、厚い革質で濃緑色、裏面は、胞子ができると褐色となる。
 葉は一枚ずつ生じ、冬も枯れないが春夏に増えもしない。そこに一種の寂しさの漂う植物で、そこが発想の契機となったものと思われる。

 一つ葉は、持てるただ一枚の葉をかざして、春夏秋冬、変わらぬ姿で立っている。見つめているうちに、その寂しい姿に愛情を覚えてくる。この愛情は、自身の姿を知らず知らずのうちに、一つ葉の中に感じ取ったためかも知れない。こういう愛情が基調となって、その「一つ葉」の名に哀れな興を覚えての発想であろう。
 「俳句は愛情」と、しみじみ思う。

 伝本により、「一葉かな」を「一つかな」とするものがある。そのため、そのいずれをとるか、論の多いところである。
 「一つかな」をとる説は、芭蕉生前の集である『曠野(あらの)』に「一つかな」とあるのを証とし、「一葉かな」をとる説は、『泊船集』の注記をを論拠とする。
 「一葉かな」のほうが、視覚的にも聴覚的にも自然な発想である、と思う。

     「夏の山路をこうして辿りつつ眺めると、あたりの草は、青々と
      葉を茂らせているのに、一つ葉だけは、以前と同様、少しも変
      わらぬ一葉きりのわりなき姿で、そこに心惹かれる哀れを覚え
      たことだ」


      一つ葉にひと日の風の独り旅     季 己