壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

もの恋しきに

2009年06月17日 20時21分34秒 | Weblog
                     高 市 黒 人        
        旅にして もの恋(こほ)しきに やましたの
          朱(あけ)のそほ船 沖にこぐ見ゆ (『萬葉集』巻三)

 高市黒人(たけちのくろひと)の覉旅(きりょ)八首中の一つである。
 この歌の、「やましたの」は、「秋山の下ぶる妹」(『萬葉集』巻二)などのように、紅葉の美しいのに関係せしめて使っているから、「朱」の枕詞に用いたものかも知れない。が、完全に枕詞になりきっているとも言えない。
 「そほ」は、赭土(しゃど)から取った塗料で、赤土、鉄分を含んだねば土である。その精品を真朱(まそほ)というが、「そほ」を塗った船が「朱のそほ船」である。船に赤い土を塗るのは、もとは魔除けであったが、後には、官船が皆塗ったので、旅先で赤く塗った船を見ると、「あれは官船だ」というところから、連想が飛躍して、都のことが思われてくるのであろう。

 旅にあると、心がからっぽになったり、もの足りぬ思いになってくる。あるいは我が家(都)が恋しくなってくる。そういう状態の時に、あかあかと土を塗った船が、たった一隻、沖を通ってゆく。それを見て心が動いたのである。何の企みも下心もなく詠んでいるので、作者の心の内奥にあるものが出てきている。

    「旅中にあれば、心むなしくなり、何につけても都が恋しいのに、沖の
     方に眼をやれば、赤く塗った船が通って行く、あれはきっと都へ上る
     のであろう。なんとも羨ましいことだ」

 今のわれわれの目で見れば、この歌は、覉旅の歌の常套手段のようにもとれるが、当時の歌人にとっては、常に実感であったのであろう。
 黒人の歌は、具象的で写象も鮮明である。ただ、柿本人麻呂の歌調ほど切実でないから、いささか通俗に感じられるのかも知れない。

 『萬葉集』巻一に、「旅にして もの恋しきに 鶴(たず)が音も 聞えざりせば 恋ひて死なまし」というのがある。
 慶雲三年(706)正月に、持統上皇が難波宮に行幸のとき、高安大島(たかやすのおおしま)の詠んだ歌である。
 黒人のとどちらが早いかわからない。旅中の寂寥感は、誰にも共感されるものであったから、類型句として人々の脳裏にあったのかも知れない。
 歌の深さにおいては、格段に黒人の方が上だから、あるいは大島の方が黒人を模倣したのかも知れない。難波宮への行幸なら大人数だったろうし、黒人の歌に見る何か気が遠くなるような寂寥感は、大島の場合それほど強くはなかったろう。
 大島の方が先だとしても、下の句にその類型を突き破って、黒人独自の境地を開いている。


      梅雨晴間 赤門寺に閻魔堂     季 己