壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

卯の花

2009年06月29日 21時02分35秒 | Weblog
 我が家の梅花空木(ばいかうつぎ)が咲き出した。今、二階の窓から確かめたが、夜目にもはっきりと真っ白い花が五輪……。

        梅恋ひて卯の花拝む涙かな     芭 蕉

 「梅恋ひて卯の花拝む涙」って、どんな涙?
 思わず、そう言いたくなるような句である。この句、このままでは解しがたい。それもそのはず、実はこの句には次のような前書きがあるのだ。

     「円覚寺の大顛(だいてん)和尚、今年睦月の初め遷化したまふよし。
      まことや夢の心地せらるるに、先づ其角が許へ申し遣はしける」

 この前書きを置いてみると、芭蕉の技巧的な面が、おどろくほど浮かび出てくるのを感じる。
 「大顛和尚」は、鎌倉五山の一つ臨済宗大本山円覚寺の第百六十三世である。名は梵千、芭蕉の弟子である其角の禅の師で、俳諧もよくした。
 「遷化」は、高僧の死をいう言葉。
 「卯の花拝む」とは、訃を聞いたのは卯の花の咲くころであり、和尚のおもかげをしのぶよすがに、眼前の卯の花を拝んで追懐したということだろう。

 「卯の花」は、「空木の花(うつぎのはな)」ともいい、初夏のころ、五枚の白い花弁をもった雅趣ゆたかな花が、雪のようにたくさんかたまって咲くさまは、清楚な感じがする。
 むかし小学唱歌であった『夏は来ぬ』に、
   卯の花の匂う垣根に ほととぎす早も来鳴きて 忍び音もらす夏は来ぬ
 とあるように、卯の花は、日本の初夏を代表するユキノシタ科の落葉低木である。垣根や畑の境界などに植えられる。
 卯の花はまた、梅雨時の花であり、その時期に降る雨を「卯の花腐(くた)し」ともいう。
 茎を切ると中が空(うつ)ろになっているので空木、あるいは、陰暦の四月に当たる卯月に咲くので、卯の花と呼ばれるという説もある。
 卯の花は、稲作との結びつきが強い。卯の花が長く咲いている年は豊作で、花が少ないか、長雨で早く朽ちてしまう年は凶作と、占うこともあったようである。

 箱根空木の花はとくに美しく、白から紅を経て紫と変化しながら、むらがり咲く。紅い紅空木(べにうつぎ)、黄色のうこん空木、谷空木、梅花空木など種類が多い。芭蕉の見た卯の花は、梅花空木だったかも知れない。

    「円覚寺・大顛和尚の遷化を旅の途中で聞いたが、今はもう遷化された
     梅の季節はとうに過ぎて、卯の花の咲くころとなってしまっている。
     和尚が愛し、和尚の高徳に比すべき梅、そして遷化のころ盛りであっ
     た梅をしのびながら、今、眼のあたりの、白梅にもまがうばかりの卯
     の花を拝んで、追懐の涙をとどめえぬものがある」


      卯の花の夜を徘徊の下駄の音     季 己