柚の花や昔しのばん料理の間 芭 蕉
柚の花(ゆのはな)は、柚子の花(ゆずのはな)・花柚子(はなゆず)・花柚(はなゆ)などともいわれる。
ミカン科の常緑小高木で、五、六月ごろ、白い五弁の小さい花を開き、高い香気を放つ。蕾は香味料にされる。柚は木のことで、柚子(酢)は実のことだという。
『古今集』の「五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(夏・詠み人知らず)心の底に置いて、「昔しのばん」というかたちで懐古の情を詠んでいる。
「橘」を「柚の花」に、「袖」を「料理の間」に転じたところに、俳諧の詫びが認められる。「料理の間」は、柚の花の蕾が香味料として用いられていることから発想されたものであろう。
『嵯峨日記』四月二十日の条に、
「落柿舎は、昔のあるじの作れるままにして、処々頽破す。なかなかに
作り磨かれたる昔のさまより、今のあはれなるさまこそ心とどまれ。
彫(ほりもの)せし梁(うつばり)、画(えが)ける壁も、風に破れ、
雨にぬれて、奇石、怪松も葎(むぐら)の下に隠れたるに、竹縁の前
に柚の木一もと、花芳しければ」
とあって、この句を掲出する。
「料理の間」というのは、料理を調える部屋のこと。
落柿舎は、去来が貞享のころ手に入れた別荘。柿が四十本ほどあったが、完全に実ることなく落ちてしまうので、そう名付けたといわれる。
もとは富豪の別荘であったようだが、小堀遠江守の茶室であったともいわれる。
季語は「柚の花」で夏。「柚の花」が季感を生かすと共に、「花橘」を重層的に感じさせる点で、古典の俳諧化のはたらきをもしている。
「庭先の柚子は、橘の花かと思われるまでに、ゆかしく薫っている。
この香をかぎながら、永らく住む人もなく頽破したこの料理の間に
身を置いて、ひっそりとしばらく、その昔を偲ぶことにしようよ」
目薬をさしてふたいろ柚子の花 季 己
柚の花(ゆのはな)は、柚子の花(ゆずのはな)・花柚子(はなゆず)・花柚(はなゆ)などともいわれる。
ミカン科の常緑小高木で、五、六月ごろ、白い五弁の小さい花を開き、高い香気を放つ。蕾は香味料にされる。柚は木のことで、柚子(酢)は実のことだという。
『古今集』の「五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(夏・詠み人知らず)心の底に置いて、「昔しのばん」というかたちで懐古の情を詠んでいる。
「橘」を「柚の花」に、「袖」を「料理の間」に転じたところに、俳諧の詫びが認められる。「料理の間」は、柚の花の蕾が香味料として用いられていることから発想されたものであろう。
『嵯峨日記』四月二十日の条に、
「落柿舎は、昔のあるじの作れるままにして、処々頽破す。なかなかに
作り磨かれたる昔のさまより、今のあはれなるさまこそ心とどまれ。
彫(ほりもの)せし梁(うつばり)、画(えが)ける壁も、風に破れ、
雨にぬれて、奇石、怪松も葎(むぐら)の下に隠れたるに、竹縁の前
に柚の木一もと、花芳しければ」
とあって、この句を掲出する。
「料理の間」というのは、料理を調える部屋のこと。
落柿舎は、去来が貞享のころ手に入れた別荘。柿が四十本ほどあったが、完全に実ることなく落ちてしまうので、そう名付けたといわれる。
もとは富豪の別荘であったようだが、小堀遠江守の茶室であったともいわれる。
季語は「柚の花」で夏。「柚の花」が季感を生かすと共に、「花橘」を重層的に感じさせる点で、古典の俳諧化のはたらきをもしている。
「庭先の柚子は、橘の花かと思われるまでに、ゆかしく薫っている。
この香をかぎながら、永らく住む人もなく頽破したこの料理の間に
身を置いて、ひっそりとしばらく、その昔を偲ぶことにしようよ」
目薬をさしてふたいろ柚子の花 季 己