門人杉風子、夏の料とて帷子を調じ送り
けるに
いでや我よき布着たり蟬衣 芭 蕉
「いでや我」というところに、誇らしげな口ぶりを生かして、喜びと謝意を表しているのだ。
「よき布着たり蟬衣」と、たたみかけるところにも、風狂の姿がでている。『古今集』の序の「いはば商人(あきびと)のよき衣着たらむがごとし」が、心の底にあったのであろう。
吾はもや 安見児(やすみこ)得たり 皆人の
得がてにすとふ 安見児得たり
という『萬葉集』の、藤原鎌足の歌が思い出される口調である。
この句を初めとして、芭蕉の作品を通じて言える大きな特色の一つは、芭蕉が、音調を生かす上できわめて力強い作家だ、ということである。
貞門から談林、談林から蕉風と、作風が変遷してゆく過程に、この音調上の新しい流動性の発見ということが、大きくあらわれてきている。
「杉風(さんぷう)子」は、杉山氏。深川の芭蕉庵は、この人の庇護によって出来たものである。
「蟬衣」は、蟬の羽のように薄くて涼しい衣の意。帷子をさしている。帷子は裏をつけない一重の衣服。『千載集』の、
今日かふる 蟬の羽衣 着てみれば
袂(たもと)に夏は 立つにぞありける
の歌が、心にあったものと思われる。
季語は「蟬」で夏。
木洩日の烏峠を烏蝶 季 己
けるに
いでや我よき布着たり蟬衣 芭 蕉
「いでや我」というところに、誇らしげな口ぶりを生かして、喜びと謝意を表しているのだ。
「よき布着たり蟬衣」と、たたみかけるところにも、風狂の姿がでている。『古今集』の序の「いはば商人(あきびと)のよき衣着たらむがごとし」が、心の底にあったのであろう。
吾はもや 安見児(やすみこ)得たり 皆人の
得がてにすとふ 安見児得たり
という『萬葉集』の、藤原鎌足の歌が思い出される口調である。
この句を初めとして、芭蕉の作品を通じて言える大きな特色の一つは、芭蕉が、音調を生かす上できわめて力強い作家だ、ということである。
貞門から談林、談林から蕉風と、作風が変遷してゆく過程に、この音調上の新しい流動性の発見ということが、大きくあらわれてきている。
「杉風(さんぷう)子」は、杉山氏。深川の芭蕉庵は、この人の庇護によって出来たものである。
「蟬衣」は、蟬の羽のように薄くて涼しい衣の意。帷子をさしている。帷子は裏をつけない一重の衣服。『千載集』の、
今日かふる 蟬の羽衣 着てみれば
袂(たもと)に夏は 立つにぞありける
の歌が、心にあったものと思われる。
季語は「蟬」で夏。
木洩日の烏峠を烏蝶 季 己