壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

いでや我

2009年07月25日 22時44分16秒 | Weblog
          門人杉風子、夏の料とて帷子を調じ送り
          けるに
        いでや我よき布着たり蟬衣     芭 蕉

 「いでや我」というところに、誇らしげな口ぶりを生かして、喜びと謝意を表しているのだ。
 「よき布着たり蟬衣」と、たたみかけるところにも、風狂の姿がでている。『古今集』の序の「いはば商人(あきびと)のよき衣着たらむがごとし」が、心の底にあったのであろう。
        吾はもや 安見児(やすみこ)得たり 皆人の
          得がてにすとふ 安見児得たり
 という『萬葉集』の、藤原鎌足の歌が思い出される口調である。

 この句を初めとして、芭蕉の作品を通じて言える大きな特色の一つは、芭蕉が、音調を生かす上できわめて力強い作家だ、ということである。
 貞門から談林、談林から蕉風と、作風が変遷してゆく過程に、この音調上の新しい流動性の発見ということが、大きくあらわれてきている。

 「杉風(さんぷう)子」は、杉山氏。深川の芭蕉庵は、この人の庇護によって出来たものである。
 「蟬衣」は、蟬の羽のように薄くて涼しい衣の意。帷子をさしている。帷子は裏をつけない一重の衣服。『千載集』の、
        今日かふる 蟬の羽衣 着てみれば
          袂(たもと)に夏は 立つにぞありける
 の歌が、心にあったものと思われる。
 季語は「蟬」で夏。

      木洩日の烏峠を烏蝶     季 己