壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

藻の花

2009年07月08日 23時07分11秒 | Weblog
 夏は水中にただよう藻にも、ひそかな花が咲く。
 石菖藻・梅花藻・松藻・金魚藻・菊藻・蛭むしろなど、沼や湖に生える淡水藻の花を総称して、「藻の花」という。
 これらの藻は、春に繁茂し、夏に黄緑色や白色の花を咲かせる。水の流れや水位によって、浮かんだり沈んだりするのがおもしろい。
 気をつけてみると、どれも可憐で、人を恋う花である。

        晩節やポツと藻の咲く硝子鉢     不死男

 この硝子鉢は、金魚鉢であろうか。すると、金魚鉢に入れる藻は松藻と呼ばれるもの、ということになる。

        藻の花やわが生き方をわが生きて     風 生

 「晩節や」もそうであるが、この句も実によく季語が効いている。
 「わが生き方をわが生きて」は、まるで自分のことを言われたようで、忘れられない句である。何と自分勝手であるかと、我ながらあきれるが、直すつもりはさらさらない。
 「外国人のための日本語教室」でも、変人ひとりが、文法を無視して、発音と口答練習を徹底的に行なっている。責任者の先生は、「もっと文法を教えるように」とおっしゃるが、一切無視。「文法は教える側の都合で作ったもの。わたしは外国人に文法ではなく、日本語を教えたいのだ」とうそぶいて……。

        渡りかけて藻の花のぞく流れかな     凡 兆

 小川にかけられている小さな橋を渡る途中に、ふと可憐な藻の花が咲いているのに気づき、思わず足を止めて流れをのぞき込む、という情景であろう。
 一句から、藻の花の咲く清冽な川が連想される。
 また、「渡りかけて」、「藻の花のぞく」という二つの動作によって、花に目をとめる人の姿が生動する。
 この句は一見、即興的な句に思われるが、実は違うのだ。変人の師、井本農一先生は、次のように述べておられる。
    「これは即興句というようなものではない。なるほど、立ち止まって
     藻の花をのぞき見たのは即興であろう。だが、句は軽い即興のいい
     捨てではない。しっかりしたデッサン、鋭い詩人的直観、ゆるぎな
     い練達の技巧、それらの総合の中に成った名句である」
                     (明治書院刊『俳句講座』4)


      来し方は利根の花藻の淡さにて     季 己