壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

夏羽織

2009年07月06日 20時57分15秒 | Weblog
        別ればや笠手に提げて夏羽織     芭 蕉

 「夏羽織」が季語ということは分かるが、意味のとりにくい句である。
 俳句に意味性は不必要だが、季語「夏羽織」も、はっきりしない使い方になっている。「夏羽織」は別れるもの、という気持を寄せているとみるほか、ないのだろうか。
 「別ればや」の「ばや」は、「~しよう」と自己の意志を控えめに表現する終助詞で、「さあ別れゆこうよ」の意。
 以上のように考えると、
    「さあお別れしよう。笠を手に提げ、着なれたこの夏羽織とも別れて」
 という意であろう。

 半ば言い捨ての一句のようである。ある本の「留別」という前書きは、あるいは編者の賢しらであったかも知れないが、そう考えればいっそう解しやすくはなる。
 旅立つ己が笠を提げ、夏羽織を着ているが、やがてその羽織は脱いでしまう。そのようにしか見えないが、どうも落ちつきにくい。自己を見つめる目として、「笠手に提げて」と解すればいいのかも……。

 ところでこの句、『白馬』(元禄十五年序跋)に所収されているが、芭蕉没後の集にのみ出る句なので、晩年の作であろう。
 冒頭に「別ればや笠手に提げて夏羽織」と掲げたが、『白馬』には、「別れはや笠手に提て夏羽織」と表記されている。当時は、濁点を付けないのが普通なので、「はや」と「ばや」の区別はつけられない。
 定説は「ばや」であるが、変人らしく「はや」で解釈を試みる。つまり副詞とみて、「はやくも」とするのは無理だろうか、ということだ。
 「別れ」は、人々と別れるのではなく、笠と夏羽織とが別れるのである。

     「笠をつけ、夏羽織を着て旅立ったが、はやくも夏羽織は脱ぎ、笠を
      手に提げるしまつであるよ」

 夏羽織は、夏の単(ひとえ)羽織をいう。絽・紗・麻などの薄もので作る。そんな薄ものでさえ着ていられない暑さと、わが身の衰えを言外に言ったものだろう。
 正岡子規に「夏羽織われを離れて飛ばんとす」という句があるが、この芭蕉の句の本歌取りに思えてならない。


      アロハシャツ着て日本語を教へけり     季 己