壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

夕涼み

2009年07月22日 23時02分19秒 | Weblog
        破風口に日影や弱る夕涼み     芭 蕉

 暑さから解放されて、一日が終わってゆく移りゆきに、静かに目を注いでいるさまが、「日影や弱る」という言い方や、全体の低く静かな音調に表されている。
 この句は、諸本により、
        唐破風の入日や薄き夕涼み
        破風口や日影かげろふ夕涼み
        唐破風や日影かげろふ夕涼み
 などの句形がある。
 「唐破風(からはふ)の入日や」の句形は、一概に却けてしまうわけにはいかないが、日常吟として見れば、「唐破風の」より、「破風口(はふぐち)に」の方がおだやかである。
 また、「薄き」よりは「弱る」の方が、時間的変化をより微妙につかんでいると言えよう。
 「唐破風」の句形は、むしろ、挨拶句としてみると適切さが感じられるような句柄である。

 「破風」は、屋根の切妻(きりづま)についている合掌形の板をいう。ふつうは、直線形だが、唐門などに見られる波状のものを唐破風という。
 「日影や弱る」は、「日影かげろう」の形もあるところから考えると、実際に目にした情景で、「や」は感動の意であろう。係り結びの表現で、疑問ととれないこともないが、やはり感動と解したい。
 「かげろう」は、光がかげる意。
 季語は「夕涼み」で夏。属目(しょくもく)の実感と思われる。

    「夕涼みをしていると、にわかに涼気が感じられてくる。眺めやると、
     あの高い破風口に残っていた西日も、いま刻々に衰えてゆくようだ」


      梅雨晴間 路に日のかげ己が影     季 己