壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

続続・大庭みな子さんの絵

2009年05月23日 20時24分53秒 | Weblog
 やっと謎が解けた。大庭みな子さんの《踊る猫》のナゾが……

 またまた今日、「大庭みな子さんの絵」展(東京・銀座『画廊 宮坂』)に吸い寄せられてしまった。
 この催しは、「大庭みな子全集」(全25巻 日本経済新聞出版社刊)刊行を記念して開かれたものである。
 読売新聞には、「大庭みな子さんの描いた未発表の絵画が見つかった。油絵やデッサンなど約150点を伊豆の別荘で家族が発見。人物や動物、風景をモチーフにしている。うち20点を19~24日、東京・銀座の画廊宮坂(03・3546・0343)で展示する。云々」とあった。
 実際の展示は18点であるが、その中で“異質”というか何というか、他の作品とは全く違う感じがする作品があった。《踊る猫》である。
 この作品にだけサインが入っているのだ、[mina]と。
 最初、この絵は、アメリカの大学や大学院で美術を学んだ際、学内の美術展に出品し、みな子さん自身の愛着が深いのかと思った。でも何となく違うのだ。
 “猫大嫌い人間”を惹きつける、不思議な絵《踊る猫》。ずっと気になっていたが、夜は爆睡できるところが変人。

 変人は常々、仏像は見るものではなく、拝むものだと思っている。仏像が美しいのは、多くの人の祈りが込められているからだ、とも思っている。
 多くの人が拝み、祈るから、仏像もそれに応えるために、より気高く、より美しくなるのだ。今、東京・上野で開かれている《阿修羅像》が、そのいい例だ。
 幼い時から「かわいい、かわいい」と言われつづけた子は、“かわいい子”になり、「おまえはダメだ、ダメだ」と言われて育った子は、“ダメな子”になる。
 日本画家の花岡哲象先生は、「絵画は、多くの人に見られることにより、成長する」とおっしゃっている。

 そんなことを思いながら、画廊宮坂の扉を開けた。
 じっくりと「大庭みな子さんの絵」を観てから、おいしいコーヒーをいただいているとき、大庭利雄さんの、おだやかでやさしい声が、耳に入った。
 それによると、《踊る猫》は、今回新たに見つかった作品ではなく、みな子さんの部屋にずっと掛けられていたものだったのだ。
 読売新聞の記事を鵜呑みにした変人は、18点全部が長年、伊豆の別荘で眠っていたとばかり思い込んでいた。だから、《踊る猫》に違和感を覚えたのだ。
 《踊る猫》は、みな子さんにずうっと愛玩され、多くの人に見られて、成長を続けたに違いない。だから、眠っていた作品より“ビタミン愛”が豊富で、より高みに成長していたのだ。
 あす5月24日は、大庭みな子さんの三回忌、これをご縁に、明朝のお勤めには、みな子さんのお名前も読み上げさせてもらおう。

 これで益々、「大庭みな子全集」を全巻、読みたくなった。
 あなたも全巻読み通してみませんか。
 お金や本を全巻置ける場所がなくても大丈夫。お近くの図書館に「大庭みな子全集」全25巻の購入をお願いするだけだ。
 全25巻の購入者には、特製の「大庭みな子 ドローイング・ブック」が、全巻刊行後に進呈されるとのこと。
 図書館が購入の暁には、大庭みな子さんの“生きた証し”が、全集と絵画の両方で味わえるのだ。レッツゴー図書館!


      三匹の蟹来て礁に不協和音     季 己