壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

春の草

2009年05月03日 20時51分10秒 | Weblog
        むしつてはむしつては捨つ春の草     来 山

 出典は、『われ貝』。季語は「春の草」で、季は春である。
 「春の草」は、「若草」よりもやや春たけた感じで、色も緑が濃く、匂いの高い草をいう。また、「芳草(ほうそう)」「草かぐはし」という季語もあるが、これは、いわゆる雑草までいとおしみ、なつかしむ心を表わしたものであろう。

 『今宮草』には、「長柄」と前書きのある句の次に、
   「わづか三里にたらぬ所ながら、旅の心地せられて、何もかもめづらし」
 と前書きして、この句を掲げている。
 この句も、大坂の北はずれにある長柄川堤での詠と思われる。

   「町の中にあっては気づかないのに、ここ長柄の川堤に来てみると、いつ
   の間にか緑も色濃く、今や春たけなわ。春の息吹を胸いっぱいに吸い込ん
   で、草の上に座っていると、いつとはなく、自然の中で透明になっている
   自分を発見する。
    忘我の境地の中で、自然との対話を繰り返すように、無意識の内に草を
   むしっては捨て、むしっては捨てしていることであった」

 春のおだやかな長閑さを、うまくとらえた句であると思う。


      山の辺の道にみささぎ春の草     季 己